第6回授業用資料

2015年11月18日 03:35

基本的人権の限界

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。

 

基本的人権の問題点

①憲法は、一方で基本的人権の不可侵性を強調すると同時に、他方で「公共の福祉」を定めている。このことは、基本的人権も絶対無制限のものではないものと理解すべきなのか。

②憲法の基本的人権は、国及び地方公共団体の公権力によって個人の人権が侵害されないとするものである。では、私人間の人権侵害にも憲法上の人権保障の効力が及ぶのか。

③特定の個人が国家との特別権力関係に置かれることにより、人権の制約がどの程度許されるのか。

 

基本的人権と公共の福祉

憲法が保障する基本的人権は、国家権力でさえも侵すことのできない永久の権利として保障されている。

それでは、基本的人権は何の制約も受けない絶対無制限のものであろうか。(A)

あるいは、基本的人権も一定の制約に服するものなのであろうか。(B)

AかBかをめぐり、多くの議論がなされてきた。

A説:憲法第11条と第97条は、憲法の保障する基本的人権は、「侵すことのできない永久の権利」であるとして、人権の不可侵性を強調する。

B:憲法第12条と第13条は、「国民は、これを濫用してはならない」のであり、常に公共の福祉のために利用する責任を負うとし、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とすると規定する。

 

公共の福祉に関する初期の学説

憲法が定める基本的人権は、全て「公共の福祉」によって制約される。従って、「公共の福祉」を理由に、法律は基本的人権に対する制限を定めることができる。

当時の最高裁判例(昭和30年代後半頃まで)

「公共の福祉」による制約論が重視され、その具体的内容を明らかにすることなく、表現の自由や学問の自由などを制限する法律の規定が合憲と判断された。

*チャタレー裁判最高裁大法廷

人間はたった一人で生活するものではない。従って、常に他人の権利や利益との調整が問題となる。基本的人権にも、その権利自体に内在する制約・限界がある。憲法にいう「公共の福祉」とは、権利と権利との衝突を防ぎ、憲法が保障する人権が、全ての国民に等しく、合理的に確保されるための原理であり、それは人権と人権との調和を保つ「公共的利益」を意味する。

田中耕太郎裁判長の意見

1)猥褻とは、徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。

2)芸術作品であっても、それだけで猥褻性を否定することはできない。

3)猥褻物頒布罪で被告人を処罰しても憲法21条に反しない。

4)第一審判決で無罪としたが、控訴審で第一審判決は法令の解釈を誤り、事実を誤認したものとして、これを破棄し、自ら何ら事実の取調をすることなく、訴訟記録及び第一審裁判所で取り調べた証拠のみによって、直ちに被告事件について、犯罪事実を認定し、有罪の判決をしたことが、刑訴法400条ただし書きに反しないとされた。

 

昭和40年代からの公共の福祉

1)「公共の福祉」の意味内容は、きわめて抽象的であり、曖昧である。その具体的内容については、しばしば意見の対立が見られる。

2)人権の制約が合憲であるかどうかの判断基準は、具体的・個別的に論じられるべきである。

3)そこで、抽象的な公共の福祉論から、「比較衡量」、「合理性の基準」、「二重の基準」といった具体的制約基準を論じるようになる。

 

比較衡量

比較衡量とは、「基本的人権を制限することによって得られる利益またはその価値とそれを制限しないことによって維持される利益または価値とを比較衡量して、前者の利益またはその価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる」とする。

最判昭和44.11.26【博多駅テレビフィルム提出命令事件】

1968(昭和43)年1月16日早朝、米軍原子力空母エンタープライズの佐世保寄港阻止闘争に参加する途中、博多駅に下車した全学連学生に対し、待機していた機動隊、鉄道公安職員は駅構内から排除するとともに、検問と持ち物検査を行った(これを「博多駅事件」という)。

護憲連合等は、この際、警察官に特別公務員暴行陵虐・職権濫用罪にあたる行為があったとして告発した。地検は不起訴処分。これに対し護憲連合等は付審判請求を行った。

福岡地裁は、地元福岡のテレビ局四社(NHK福岡放送局、RKB毎日放送、九州朝日放送、テレビ西日本)に対し、事件当日のフィルムの任意提出を求めたが拒否。提出を命令。この命令に対して4社は、「報道の自由の侵害であり、提出の必要性が少ない」という理由に通常抗告を行う。

福岡高裁は、「報道の自由といえども公共の福祉により制限されること、裁判でのフィルムの使用は『態様を異にした公開』とも考えられ報道機関の不利益は少ないこと、またフィルム提出は審理にとって必要であること」等の理由で、抗告棄却の決定を行う。最高裁に特別抗告を行ったが、抗告棄却。

最高裁大法廷昭和44年11月26日

最高裁は、「報道の自由は、憲法21条の保障にある取材の自由といっても無制約ではない。報道機関の取材フィルムに対する提出命令が許容されるか否かは、①対象犯罪の性質、軽重および②取材内容の証拠としての価値、③公正な刑事裁判を実現するための必要性の程度と、これによって④取材の自由が妨げられる程度を比較衡量して決めるべきである。この件の場合、フィルムは裁判に重要な価値・必要性がある一方、報道機関がこうむる不利益は将来の取材の自由が妨げられる恐れがあるという程度にとどまるため、受忍されなければならない」 とし、抗告棄却。

 

合理性の基準

合理性の基準とは、基本的人権を制限する法律がある場合、ただ「公共の福祉」で制限されると考えるのではなく、一般的に法的規制の目的が必要性かつ合理性を有するのか、その手段についても合理性を有するのかについて、具体的・個別的に審査する。

最判昭和50.4.30【薬事法事件】

正式名称は「薬事法薬局距離制限規定違憲事件」。広島県福山市で薬局を開設することを同県に申請した者が、広島県から不許可処分を受けたことを不服として提訴した行政処分取消請求事件。

1975(昭和50)年4月30日、薬事法6条2項の規定は違憲無効、不許可処分も無効であるとの判決が最高裁判所より言い渡された。

原告(会社)は地元の福山市に本店を置き、福山市や広島市でスーパー・化粧品販売業・薬品販売業などを経営している。

原告は広島県福山市の保健所に薬局「くらや福山店」を設置することを申請。しかし申請後、県の回答が出される前に薬事法が改正され、「薬局距離制限規定」が導入される。改正後の薬事法および県条例をもとに、県は不許可決定を原告に通知。

この不許可決定の背景には、原告の申請場所は最も近い「既存の薬局から水平距離で55mのところにあり、しかも半径約100m圏内に5軒、半径約200m圏内に13軒の薬局」があった。

不許可決定を受け、①申請受理後の法改正にもかかわらず改正後の法律を適用している、②申請場所は国鉄福山駅前の繁華街であり薬局が密集していても過当競争になるおそれがない、③薬事法の改正自体が憲法22条が保障する営業の自由を侵害し違憲である、以上から処分は違法と目される。

 

二重の基準

二重の基準とは、精神的自由を規制する法律に対する裁判所の合憲性の判断基準は、経済的自由を規制する法律に対する基準よりも厳格である必要がある。

つまり、精神的自由を規制する法律は違憲の推定を受ける。それを合憲とするには、立法部は、その立法に当たり、そうした規制立法を必要とする特別な理由があることを立証しなければならない。この立証が不十分であるとき、当該立法は違憲と判断される。

他方、経済的自由の規制は、規制立法が著しく不合理なことが明白である場合のみ、違憲とされる。

最大判昭和47.11.22【小売市場開設許可制事件】

被告人(会社)は、大阪府茨木市に本店を置き市場経営をする法人。 その代表者が、同府知事の許可を受けないで、東大阪市に平家1棟を建設し、新しく小売市場とするために野菜商4店舗、生鮮魚介類商3店舗を含む49店舗を小売商人ら47名に貸し付けた。

この行為が、小売商業調整特別措置法3条1項および同法5条1号に基づき定められた大阪府小売市場許可基準内規に違反するとして、被告人及び代表者が起訴された。

【最高裁主文】本件各上告を棄却する。

 

私人間における基本的人権の効力

通説=間接効力説

①憲法の保障は、人権に対する国の侵害行為の禁止にある。

②それは、直接的には、私人間の侵害問題には関係しない。

③しかし、憲法が基本的人権を保障する以上、ある種の自由や権利の侵害は、私人間の契約でも禁止されるべきである。

④憲法規定は私人間の権利侵害行為には直接的には適用されないが、著しく人権を侵害する内容の契約では、民法第90条を通して、私人間にも人権規定が適用される。

⑤つまり、憲法の人権規定は、民法90条「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」を通して、間接的に適用されると解する。

三菱樹脂採用拒否事件

1963(昭和38)年3月、東北大学法学部を卒業した原告は、三菱樹脂株式会社に、将来の管理職候補として、3カ月の試用期間後に雇用契約を解除することができる権利を留保するという条件の下で採用されることになった。

ところが、原告が大学在学中に学生運動に参加したかどうかを採用試験の際に尋ねられ当時これを否定した。その後の会社側の調査で、原告がいわゆる60年安保闘争に参加していたという事実が発覚。「本件雇用契約は詐欺によるもの」として試用期間満了に際し、会社側は原告の本採用を拒否。これに対して、原告が雇用契約上の地位を保全する仮処分決定(東京地裁昭和39年4月27日決定)を得た上で、「会社側による本採用拒否は被用者の思想・信条の自由を侵害する」として、雇用契約上の地位を確認する訴えを東京地方裁判所に提起。

1973(昭和48)年12月12日、最高裁は、大法廷において、「憲法の人権規定は、民法をはじめとする私法関係においては、公序良俗違反(民法90条)、信義誠実の原則(b:民法1条)、権利濫用(同)、あるいは不法行為(b:民法709条)などの規定を解釈するにおいてその趣旨を読み込むことも不可能ではないが、人権規定は私人相互間には原則として直接適用されることはない」とし(「間接効力説」)、その上で、「雇用契約締結の際の思想調査およびそれに基づく雇用拒否が当然に違法となるわけではない」旨の判示をした。

その他の判例も間接効力説に立脚する。

①東京地判昭和41年12月20日

【結婚退職制訴訟】

結婚退職制に関して、「結婚の自由は重要な法秩序の形成に関連し、かつ基本的人権の一つとして尊重されるべき」である。これを合理的理由なくして制限する「労働協約、就業規則、労働契約はいずれも民法第90条に違反し効力を生じない」と判示した。

②最判昭和56年3月24日

【日産自動車男女別定年制事件】

男女の定年制の年齢に5歳の差を設ける就業規則は、「専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法第90条の規定により無効であると解するのが相当である」としている。

 

基本的人権と特別権力関係

国民と国家・地方公共団体との関係

①国民が単なる一般市民としての立場における国家との支配従属関係=一般権力関係

②国民の中でも特別な目的や法律上の原因により特別な地位や立場におかれ、一般市民とは異なる特殊な支配服従関係=特別権力関係

以下では、特に、後者②の関係性について、詳細に検討することになる。

憲法の人権規定が特別権力関係にある者に適用されない場合がある。

①本人の自由意思(同意)によって当該関係が成立する場合=公務員の勤務関係

公務員は、「全体の奉仕者」 (憲法15条及び同99条)という立場から、公務員法上、政治活動の自由(21条)や労働基本権(28条)が著しく制限されている。

②本人の自由意思によるのではなく、強制的原因によって当該関係が成立する場合

・伝染病予防法の適用される強制隔離患者は移住移転の自由(憲法22条)が制限される。

・監獄法により囚人とされた者には、移住移転の自由や新聞・ラジオなどを読み聞く自由(憲法21条)などが制限される。

なお、権利制限は、当該制限がなければ、その存在目的を実現できない合理的な最小限度の範囲に止めなければならない。

 

包括的基本権

ヴァージニア権利章典(1776年)

人間の生来の権利は、「財産を取得所有し、幸福と安全とを追求獲得する手段を伴って、生命と自由とを享受する権利」である。

アメリカ合衆国独立宣言(1776年)

私たちは、「自明の真理として、全ての人は平等に造られ、創造主によって、一定の奪い難い天賦の権利を付与され、その中に生命、自由及び幸福の追求の含まれる」ことを信じる。

日本国憲法第13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を包括的に規定する。だが、今日、制定当時には考えられなかった「新しい人権」の保障が要請されている。

①私たちは今後どこから裁判上の救済を受け得る具体的な権利を導き出すことができるのであろうか。

②それができるとしたら、私たちは、どのような内容の権利を導き出せるのか。

権利の具体性と抽象性

1)権利には、抽象的な権利と具体的な権利がある。前者は裁判で活用されず、後者は裁判で活用される。

2)私たちは後者の権利がなければ、実際に裁判で自身の立場を擁護できない。

3)前者の権利は、必要ではあるが、出訴できない。

日本国憲法第13条

  すべて国民は、個人として尊重される。(以上前段)

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(以上後段)

同条解説

前段:個人の尊重という近代社会の基本原理が確認される。

後段:生命、自由及び幸福追求の権利(「幸福追求権」と総称される)は公共の福祉に反しない限り、国政上最大の尊重を必要とする。こうして日本国憲法が個人主義を国政の基本原則として採用することが明言される。

 

プライバシーの権利

プライバシーの権利とは、「ひとりで放っておいてもらう権利」である。19世紀終わり頃からアメリカの判例において認められてきた。

1964(昭和39)年「『宴のあと』事件」一審判決

プライバシーの権利とは、「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」と定義される。この権利は、個人の尊厳を保ち、幸福の追求を保障するために不可欠である。

プライバシーの権利は、報道・表現の自由などと衝突することが多いため、両者をどのように調停するかについては未解決のままである。

プライバシーは、現代社会において欠くことのできない重要な権利であるが、それが他の権利に優越するとは限らない。

なぜなら、報道の自由や表現の自由も最大限保障されなければならないからである。

そこで、現在では、

①個人のプライバシーを保護することによって得られる利益

②報道・表現の自由を保障することによって得られる利益

①と②を比較衡量し、どちらの利益が公共の福祉のために必要であるかにより判断される。なお、プライバシーが公表されるとしても、それは必要最小限の範囲に留めるべきであろう。

現代社会は、中央官庁の大型コンピュータが集中管理する「国民総背番号制」の時代である。

コンピュータによる情報管理の功罪

①行政の能率化にプラスの効果をもたらす。

②個人情報が暴露されたり、悪用されたりする恐れがある。従って、国民のプライバシーや人権を侵害する危険性も高くなる。

それ故、最近では、「自己に関する情報をコントロールする権利」(通称「情報プライバシー権」)が主張されるようになる。

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