第14回授業用資料
2016年07月10日 18:17
日本国憲法第14回
前回までの復習
憲法の構造
1.人権宣言(前回までの授業)
2.統治機構(今回と次回の授業)
通年の授業科目として日本国憲法を勉強する場合は、人権宣言と統治機構を15回・15回に分けて説明します。しかし、半期(15回のみ)の授業科目の場合(教員養成課程の日本国憲法を含む)は、人権宣言が主であり、統治機構は従としての取り扱いになります。
今日の授業の概要
日本の統治機構について
第六章 国家の統治機構
1 国民主権と権力分立
統治機構の究極の目的=人権を守ること
1)直接民主制と間接民主制
①直接民主制:国民が政治に直接参加。
②間接民主制(別名「代表民主制」):国民が選挙により選んだ代表者を通じて政治に参加。
2)法の支配の原則(1)
イギリスは、近代国家の形成にあたって、2つの要請に応えた。
①統一的な国家権力を確立する。
②国民の自由・平等を確保する。
イギリスは、「人による支配」ではなく、「法による支配」を選んだ。なぜなら、権力は濫用されるのが常であり、それ故そうした権力を民主化しなければならなかったからである。イギリスは、政治権力が勝手に国民の自由・権利を侵害するのを防止しようとした。
2)法の支配の原則(2)
① 法は国民の意思に基づいて作られる。
② 国民は自らを不幸にする法を作らない。
③ 政治はそうした法に基づいて行なわれる。
④ 政治権力は勝手に法を作れない。
⑤ 法の支配は必ず権力分立を要請する。
以上の要請を受けて、法の支配は、実現されるところとなった。
3)三権分立主義(教科書92ページ)
三権分立主義の思想は、ロックによって発案され、モンテスキューによって完成された。
①1690年 ロック『統治二論』
第一論文:フィルマー王権神授説を批判する。
第二論文:ロックの「市民政府論」⇒不完全ながら、三権分立論が説かれた。
ロックの権力論の問題点=立法権を最高とする分立を説いた。
ジョン・ロックの名言
「人間は生来全て自由であり、平等であり、独立している。従って、自分から同意を与えるのでなければ、この状態から追われて、他人の政治的権力に服従させられることはあり得ない。人がその生来の自由を放棄し、市民社会の拘束を受けるようになる唯一の方法は他人と合意して1つの共同社会に加入し、結合することである。だが、その目的はそれぞれ自分の所有物を安全に享有し、社会外の人に対して、より大きな安全性を保つことを通じて、相互に快適で安全で平和な生活を送ることである」(第二論文「市民政府論」より)
モンテスキュー(1689-1755)
②1748年 モンテスキュー『法の精神』
モンテスキューは、イギリス政治の分析を通して、権力を三権(立法・行政・司法)に分立し、それら相互の抑制と均衡を説く理論を展開した。こうして、権力が1つの機関に集中することを防止しつつ、権力の濫用から国民の自由を守ろうとする考え方が確立された。
日本国憲法下の三権分立
わが国の三権分立主義の憲法的根拠については、以下の日本国憲法条文を確認していただきたい。
第41条 立法権(国会)
第65条 行政権(内閣)
第76条 司法権(裁判所)
*フォトギャラリー参照。わが国の制度としての三権分立。図表のみ
2 議院内閣制
1)国会中心主義
わが国では、代表民主制が採用され、主権者である国民によって選挙された議員が国会を組織する。それ故、国会中心主義が採用された。
2)国会と内閣の関係
わが国は、イギリス型の議院内閣制を採用している。その特徴は、以下の通りである。
①内閣が国会に対して政治責任を負う。
②国会の信任が内閣存立の要件とされる。
国民の意思を国政全般に反映させる。国会が内閣をコントロールする。
日本国憲法の中の議院内閣制
3)議院内閣制の憲法的根拠
①「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。」(日本国憲法第67条)
②「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。その過半数は、国会議員の中から選ばなければならない。」(同第68条)
③「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」(同第66条)
わが国の議院内閣制の構造
4)衆議院と内閣の関係
日本国憲法第69条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき(①)は、10日以内に衆議院が解散(②)されない限り、総辞職をしなければならない。
①衆議院による内閣不信任決議制度
②衆議院の解散
衆議院と参議院
5)衆議院と参議院
わが国は、日本国憲法上、二院制を採用する。
「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」(日本国憲法第42条)
参議院に対する衆議院の優越が以下の点で認められる。
①内閣不信任決議(⇔解散)
②法律案の議決(第59条)
③予算の先議と議決(第60条)
④条約の承認(第61条)
⑤内閣総理大臣の指名(第67条)
6)内閣の総辞職
内閣総辞職の要件について、日本国憲法は、以下の通り規定する。
① 衆議院で内閣不信任決議案を可決または信任決議案を否決したが、10日以内に衆議院を解散しない場合(第69条)
② 内閣総理大臣が欠けた場合(第70条)
③ 衆議院議員の総選挙後初めての国会の召集があった場合(第70条)
7)衆議院の解散
衆議院解散には、以下の2つの目的がある。
① 内閣と衆議院の意見対立を調整する。
② ①の対立について、選挙を通じて国民の判断に委ねる。
衆議院議長「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する!」
衆議院議員「万歳!万歳!万歳!」
なお万歳三唱の起源は大日本帝国憲法発布。
3 司法権の独立
司法権の独立の歴史的起源
1891年、ロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロウィチが滋賀県大津を通過するとき、当地の巡査津田三蔵は、同皇太子が日本を偵察していると思い込み、刀で斬りつけ、負傷させた。政府は、ロシアの報復を恐れて、日本の皇族に対する罪と同様の大逆罪で死刑にしようとした。ところが、大審院長(現在の最高裁判所長官)の児島惟謙(こじまこれかた)は、法律通り、謀殺未遂罪で無期懲役を適用したのであった。
わが国の法体系。図表のみ
司法権の定義
司法権とは、法律上の争いについて、審理・裁判する権限及び付随する権限を指す。司法権の独立とは、裁判官が法以外の拘束を受けることなく、独立して職務を行なうことを意味し、公正な裁判を保障するための大前提とされる。
なぜ司法権の独立は必要なのか?(芦部信喜説)
①司法権は非政治的権力であり、政治性の強い立法権・行政権から侵害される危険が大きい。
②司法権は裁判を通じて国民の権利を保障することを職責としているので、政治的権力の干渉を排除し、特に少数者の保護を図ることが必要である。
日本国憲法第76条
第76条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
1)司法権の独立の2つの側面
①立法機関・行政機関からの司法機関の独立(裁判所自治の原則)
②司法権内部における他の裁判官からの独立
2)裁判所の自治
①司法権を裁判所に統一的に帰属させる。(第76条)
②特別裁判所(かつての軍法会議・皇室裁判所など)は、設置できない。(第76条)
③行政機関は、終審として裁判を行うことができない。(第76条)
④規則制定権(訴訟手続きや裁判所の内部規律)を最高裁判所に認める。(第77条)
⑤下級裁判所裁判官の指名権を最高裁判所に認める。(第80条)
3)裁判官の独立
日本国憲法第76条から、全ての裁判官は、その良心に従って、独立してその職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束される。
裁判官の罷免事由は、以下の通りである。
①最高裁判所の裁判官について、国民審査において投票者の多数が罷免を可とする場合(同憲法第79条)
②裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合(同憲法第78条)
③罷免の訴追を受けた裁判官について、国会が設けた弾劾裁判所による弾劾裁判により、罷免事由に相当すると判断された場合(同憲法第64・78条)
4 違憲立法審査権(違憲法令審査権)
日本国憲法第81条
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
*近代憲法は、立法権に対する司法権の優位を承認する。承認方法としては、かかる問題を取り扱うための特別の裁判所を設置するか、既存の裁判所にその機能を持たせるか、2つの方法が考えられる。わが国は後者を採用した。
日本国憲法第81条の解釈論
現行憲法第81条から、最高裁判所が、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所であることが分かる。*フォトギャラリー38参照。
同条の解釈については、
第一に、裁判所は国の立法・行政・司法の各作用及び地方公共団体の作用の一切を審査の対象にすることができる。
第二に、裁判所は、当該作用について、その制定手続が憲法に適合するかどうかという形式的審査(①)とその内容が憲法に適合するかどうかという実質的審査(②)の両方を行うことができる。
補論 憲法を支える思想
憲法の根底には、憲法を支える思想がある。
J・ロック、J・J・ルソー、そしてM・モンテスキューなどの哲学者がいなければ、社会契約・国民主権・権力分立の概念が生まれなかったと言っても言い過ぎではない。
ただ彼らの影響力は、近代市民革命期に成立した憲法において甚大であった。それでは今はどうか。そこで、以下では、J・ロールズ、R・ドゥウォーキン、そしてW・キムリッカを取り上げる。
*フォトギャラリー参照。写真のみ
ジョン・ロールズ
J・ロールズの正義論(1)
ロールズ(John Rawls 1921-2002)は、主著『正義論』(1971)を世に問い、20世紀を代表する哲学者の仲間入りを果たした。
人びとは次のようなルールに同意するに違いない。一方のルールは、“何らかの不平等が起こるとしても、その不平等は、平等な機会を与えられた、全てのメンバーによる公正な競争の結果として生じた不平等でなければならない”であり、他方のルールは、“不平等が残るとしても、それは社会の中で最も不遇な生活を強いられる人びとの境遇を改善するものでなければならない”である。
J・ロールズの正義論(2)
ロールズの正義論(“公正としての正義”と通称される)は、当時の公民権運動などを背景にしながら、アメリカ合衆国で広く議論を呼び、また受け入れられた。現在でも“民主主義的な制度のなかで他者の尊重”を具体的に考える上で、“重要な出発点”と目されている。
ロールズの正義論の誕生を誘った社会背景についての説明は実に重要であり、現代憲法の辿る歩みに少なからず影響を与えた。
ロナルド・ドゥウォーキン
R・ドゥウォーキンの権利論(1)
ドゥウォーキンは、前国家的・超憲法的視点から、権利論を展開している法学者である。
ドゥウォーキンによれば、「基本権」(=「基本的人権」)とは、全ての人間がただ人間であるというそれだけの理由によって、無条件に等しく保持するのが当然とされている権利である。しかも、それは法律及びその他の制度上の規範に先立って、それらとは独立に存在する。彼自身はこのような基本権を「平等な配慮と尊重を求める権利」と呼んでいる。全ての人は、かかる権利を享有すると同時に、「善良な生き方」についての自己の考えを形成し、それに基づいて行動することができる人格として尊重されなければならない。
R・ドゥウォーキンの権利論(2)
ドゥウォーキンによれば、法はルールの総体ではないのである。彼は、実定法を考察する上で、実定法の背後にある「原理」を尊重する。法の効力は、原理によって、基礎づけられる。
原理とは何か。彼によれば、それは「重みとか重要性といった特性」に他ならない。例えば、自動車の消費者を保護する政策と契約自由の原理が相互に抵触するとき、つまり複数の原理が抵触し合うとき、この抵触を解決しようとする者は、抵触する原理相互間の「相対的な重み」を考慮に入れなければならない。この重みに彼は「原理概念の本質的要素」を認めた。
ウィル・キムリッカ
W・キムリッカの多文化主義(1)
人間は自律的存在である。つまり、人間はある程度まで自分自身の運命を管理し、一生を通じて継続的に自分自身の決定によって当該運命を形成することが理想である。すると人間的自律の条件とは何か。伝統的な自律の条件は、近代立憲主義によって保障される、言論の自由、結社の自由、信教の自由、教育の機会の平等などに求められている。こうした伝統に対して、キムリッカは、それだけでは十分ではないと考える。人びとが自律を獲得・発達させるためには、彼らの帰属する「文化」の維持・繁栄が必須だからである。彼の場合、カナダという彼自身の帰属する「文化共同体」の中で生活し、伝統的な自律の条件に〈新たに〉文化を付け加えたのである。
W・キムリッカの多文化主義(2)
文化とは、各人の自律に必須の「選択の脈絡」に他ならない。「私たちは、こうした文化的物語の中に私たち自身を定位することによって、どのように私たちの生を送るかを決定する」のである。その上で、キムリッカによって、「少数派の権利」(Minority Rights)及び「少数派の文化」(Minority Cultures)が擁護される。
例えば、政府が公用語、国内の境界線、国民の公休日などを決定しようとするとき、「特定のエスニック集団と民族集団のニーズやアイデンティティの承認、包容、支援」を伴うことは避けられない。これにより国家はある一定の文化的アイデンティティを強化し、それによって他の文化的アイデンティティに不利益を与えることになる。