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2016年12月20日 00:50
【確定版】2016年度秋学期試験はここから出題します!
1 明治憲法の特色
1889(明治22)年 大日本帝国憲法(通称「明治憲法」)が制定される。
【簡単な説明】
明治憲法は、神権的天皇制との妥協を図って制定した憲法である。従って、民主的要素と反民主的要素が微妙に混在した。
明治憲法の起草過程
伊藤博文:ウィーン大学のシュタインやベルリン大学のグナイストから教えを受けた上で、立憲君主制のプロイセン憲法を参考にして明治憲法は起草された。
明治憲法は、西欧諸国の政治思想の影響の下、国民の権利や議会制度を認めるなど一部民主的要素を取り入れていた。
明治憲法の特徴(1)
①欽定憲法
「現在及将来ノ臣民二対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」(憲法発布勅語)
②天皇主権
天皇=万世一系の統治権の総攬者=神聖不可侵の存在(現人神)
③統帥権独立
統帥大権(軍事)と統治大権(政治)の所持⇒軍隊は議会や内閣の制約を受けない
④衆議院貴族院対等
衆議院(民選)では制限選挙実施。貴族院(勅選)は皇族、華族、多額納税者。貴族院が衆議院を抑制する役割を果たす。
⑤臣民権利義務
天賦人権思想は見られない。生存権や自由権の保障の欠如。「日本臣民ハ法律ノ範囲内二於テ移住及移転ノ自由ヲ有ス」(第22条)
2 日本国憲法の制定
1945年8月14日 ポツダム宣言の受諾
=日本の無条件降伏
ポツダム宣言の主な内容
①戦後日本の平和主義の確立
②基本的人権の尊重
③国民主権の確立
ポツダム宣言への対応
①松本烝治国務大臣を主任とする委員会発足
②憲法改正草案(松本案)の作成
③同案は「天皇が統治権を総攬する」という原則に変更を加えないなど、保守的な色彩濃厚
④総司令部は全面拒否・同案消失
⑤最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥による「マッカーサー三原則」の提示
⑥総司令部独自の憲法草案起草
新憲法の制定まで
日本政府は総司令部案を大体そのまま内閣の憲法草案として採用=憲法改正草案要綱完成
1946年6月20日 同要綱を第90回帝国議会提出
約3ヵ月におよぶ審議
枢密院の諮詢⇒天皇の裁可
1946年11月3日 日本国憲法の公布
1947年5月3日 日本国憲法の施行
第三章 国民主権と象徴天皇
1 国民主権
日本国憲法は国民主権主義を最重要な基本原理として採用している。
“主権”概念の誕生
①「主権」の考案者=ジャン・ボーダン(フランス)
②主権は、絶対君主の支配権を根拠づける理論的概念として考案された。
③フランス人権宣言第3条「全ての主権の淵源は、本来国民に存する。」
④国民主権の原理は、君主主権に対抗して確立された概念である。
国民主権=人類普遍の原理
民主主義の発達とともに、国民主権は、「人類普遍の原理」と目されるようになる。
国民主権は、基本的人権を確立し、絶対君主を打倒した結果生まれた「闘争的概念」である。
日本国憲法の国民主権(イ)
①日本国憲法(以下省略)前文「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
②第1条「天皇は、日本国の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
日本国憲法の国民主権(ロ)
国民主権の「主権」:国家の意思を決定する①最高にして、②最終的な権限が国民に存する。
すなわち、①国民のみに主権が存し、②国家の意思決定は一体として国民に属していなければならない。三権は憲法の制約を受けるが、憲法を制定する権力(「憲法制定権力」)は、国民に存する。
2)国民主権の理念とその具体化
国民主権の採用=国政の最高の決定権が国民に帰属。国民が直接政治権力を掌握し、国政を運営しなくてもよい。
国民主権に立脚していれば、いかなる政治体制でも構わない。例えば、議院内閣制も、大統領制も、政治の主体としての国民の①自主性、②反抗性、③能動性が生かされていることが重要である。
日本国憲法の国民主権
日本の国民主権⇒国会中心の代表民主制
国民主権の建前からは、国民の全てが直接国政全般に参加することが望ましい。だが、国民の数が多くなれば、それは現実には不可能である。そこで、国民は代表者を選出し、代表者を通じて政治参加する代表民主制を採用することになった。
第43条第1項「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」
国会中心主義
[意味]
国会=国民の意思を直接代表する
第41条「国会は国権の最高機関」
[比較]
帝国議会=天皇の協賛機関
国会=国民の代表機関
日本の直接民主制的要素
①憲法改正権(第96条)
②国会議員選挙(第43条)
③最高裁判所裁判官国民審査(第79条)
④地方公共団体の首長や地方議会の議員の選挙(第93条)
⑤地方自治特別法の制定のために行われる住民投票(第95条)
象徴天皇
国民主権=現行憲法の三つの柱
日本国憲法は、明治憲法と同様に「第一章」で天皇制の存置を認める。つまり、日本人の中の特定の人物に「天皇」という特別な地位を与え、一般国民と区別する。
天皇の憲法的根拠は?
1)天皇の地位【第1条、第2条】
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
明治憲法における天皇
①天皇は国の「元首」である。
②天皇は統治権の総攬者である。
③天皇は「神聖不可侵」とされた。
④天皇主権が当然と目された。
日本国憲法における天皇
①天皇は、日本国及び日本国民の「象徴」である。
②天皇の地位の根拠は、主権者としての国民の「総意」にある。
象徴としての天皇
「象徴」⇒一般的に言えば、「抽象的・無形的なもの」を表す「具体的・有形的なもの」を指す。例えば、鳩=平和の象徴、十字架=キリスト教の象徴など。
皇位継承
日本国憲法第2条は「皇位」を「世襲」とする。皇位継承者は「国会の議決した皇室典範」によって規定する。
皇室典範は、皇位の継承は、天皇が崩御したときに限られ、天皇の生存中の退位は認められない(第4条)。皇位は皇統に属する男系の男子によって継承される(第1条)。
天皇の国事行為
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
日本国憲法第4条解説
「国政に関する権能」とは、国家の統治作用に関する実質的・主体的な諸機能。例えば、三権。
「国事に関する行為」とは、統治に関する実質的な権能ではない。儀礼的・形式的・名目的な権能。国事行為は自己の決定に基づいた行為ではない。内閣・首相・国会などによって決定された行為に儀礼的・形式的に参加する行為。
国事行為の内容(1)
第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
国事行為の内容(2)第7条
1憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2国会を召集すること。
3衆議院を解散すること。
4国会議員の総選挙の施行を公示すること。 以下省略
(3)国事行為の代行
天皇が自ら国事行為を行なうことができない場合⇒その権能を代行させるための制度がある。①「国事行為の委任」(第4条第2項)
②「摂政」(第5条)
①国事行為の委任
天皇に精神もしくは身体の疾患または事故があるとき、摂政を置くほど重大な故障でない場合に、国事行為を皇室典範に定める摂政となる順位に当たる皇族に委任して、臨時に代行させる処置。②摂政
「摂政」とは、天皇が、長期にわたって国事行為が行えない場合に、天皇に代わって置かれる法定代理機関である。この場合、皇族女子にも摂政資格が与えられる(皇室典範第17条)。
3 皇室財政【第8条、第88条】
皇室の財産と経費について、憲法は二つの規定を設けている。①財政の章において、「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」(第88条)
②天皇の章において、「皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない」(第8条)
皇室財政
皇室財産は、次の①と②から構成される。
①国有財産で皇室の用に供される皇室用財産
②皇室の私有財産
皇室経費は、皇室経済法によって、内廷費、宮廷費、皇族費の三つに区分し、予算に計上されている。
1)内廷費=「天皇並びに皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもの」(皇経法第4条)。
2)宮廷費=「内廷諸費以外の宮廷諸費に充てるもの」。宮内庁が経理する公金(皇室経済法第5条)。
3)皇族費=「皇族としての品位保持の資に充てるもの」「皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金額により支出するもの」「皇族であつた者としての品位保持の資に充てるために、皇族がその身分を離れる際に一時金額により支出するもの」。(皇室経済法第6条)。
第四章 基本的人権
Ⅰ 基本的人権の原理日本国憲法が最重要視するもの=基本的人権の保障
基本的人権=天賦の権利=国家成立以前から人間が生れながらに享有する自然権(前国家的な性格を持つ自然権)
Ⅰ 基本的人権の原理(続)
自然権は、「通常の法律よりも更に高次の憲法に明記する」ことにより、より確実に保障された。なぜなら、基本的人権とは、「人間が生まれながらにして持っている固有の権利」である。18~19世紀:基本的人権は、国民主権の確立と同じく、近代国家生成期における市民革命によって形成された。
20世紀:自由権の他にも、社会権が導入される。基本的人権のカタログの中で「新しい人権」が主張された。
最近の状況:
人間生活の個別化と多様化が進む中で権利と権利との衝突の問題や権利と「公共の福祉」の調整の問題が生じている。
1 人権宣言の歴史
人権宣言の歴史を概観する。
1)人権思想の確立
1215年:マグナ・カルタ
1689年:権利章典
1776年:ヴァージニア権利章典(メイソン)
1776年:アメリカ独立宣言(ジェファーソン)
1789年:フランス人権宣言(ラファイエット)カッコ内は起草者名を意味する。
1)人権思想の確立
近代は、中世の封建制及び近世の絶対制に対して、人民の権利を要求し、市民の契約により国家を形成し、人権保障を確立しようとした。
基本的人権の思想的源流
①個人の尊厳の思想
②近代自然法の思想
特に、ジョン・ロックによれば、人権に先立って国家が存在するのではなく、国家は人権を保護・防衛するために存在する。
2)人権宣言の普及
ヴァージニア権利章典(1776年)「全ての人は、生来平等に自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は人民が社会(国家)を組織するに当たり、いかなる契約によってもその子孫からこれを奪うことはできない」(第1条)
フランス人権宣言(1789年)
「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。社会的差別は共同の利益の上にのみ設けることができる」(第1条)
3)自由権から社会権へ
19世紀人権宣言=自由権を中心とする自由国家的人権宣言
20世紀人権宣言=社会権をも保障する社会国家的人権宣言
社会権=「20世紀型人権」
社会権保障の意義について
形式的平等主義⇒実質的平等主義
社会権(例えば、生存権、教育を受ける権利、勤労の権利、労働基本権など)を保障し、「社会国家」として国民の福祉の向上に努める。
*なお、こうした国家を「福祉国家」と呼ぶ場合もある。
4)人権宣言の国際化
20世紀の人権思想的傾向人権保障を単に国内法のみならず、国際法的にも実現する=人権宣言の国際化
1948年 世界人権宣言
1966年 国際人権規約
1954年 難民の地位に関する条約
1981年 女子差別撤廃条約
1990年 児童の権利に関する条約
2 日本国憲法における人権保障
明治憲法「第二章 臣民権利義務」
人権=国家により“上から”与えられたもの= 「天皇の恩恵」。
人権の種類は少なく、しかも法律の範囲内においてのみ保障する「法律の留保」を伴う。つまり、立法権による侵害が予定されていた。
日本国憲法第10・11・97条
第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第11条 国民は、全ての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
1)人権の享有(イ)
日本国憲法⇒生存権思想の採用
第25条 生存権
第26条 教育を受ける権利
第27条 勤労の権利
第28条 労働基本権
2)人権の主体
①人権⇒人種、性別、身分などに関係なく、人間である以上、当然に享有できる普遍的な権利
②基本的人権の主体⇒日本国民
③日本国民の要件⇒国籍法
国籍法の日本国民の要件
①出生による国籍の取得②認知された子の国籍の取得
③帰化による国籍の取得(以下の要件参照)
・引き続き5年以上日本に住所を有する。
・20歳以上で本国法により行為能力を有する。
・素行が善良である。
(1)天皇・皇族の人権
天皇・皇族=日本国籍を有する日本国民
①憲法上特別な身分にある。②一般国民とは異なる特殊な身分関係・法律関係にある。③人権保障において一定の制限を受ける。
保障される:思想・良心の自由(第19条)、学問の自由(第23条)など。
保障されない:選挙権や被選挙権(第15条、第44条)など。信教の自由(第20条)、表現の自由(第21条)、移住移転・職業選択の自由(第22条)なども一定の制限を受ける。
(2)外国人の人権
通説・判例の立場:第11条があるにもかかわらず、外国人も日本領土内に在住する限り、わが国の法の適用を受ける。「属地主義」の採用⇔「属人主義」
原則:外国人にも基本的人権が保障される。なぜなら、基本的人権は人類普遍の原理であり、日本国憲法が国際協調主義に立つことを考慮すれば、人権は日本に在住する外国人にも適用される。
(3)未成年者の人権
①未成年者も、日本国民である限り、当然に人権を享有する。②未成年者は、精神的、身体的、社会的にも未成熟であり、しかも判断能力や責任能力がまだ十分ではない。従って、未成年者は、保護の対象として考えられる。未成年者は、人格的に独立した成人に比べて人権が制約される。
③未成年者が制約される人権は、選挙権(第15条)、婚姻の自由(第24条)、職業選択の自由(第22条)などである。
(4)法人の人権
①人権保障は、自然人を対象とする。かつては法人には基本的人権の規定は適用されないとする見解が有力だった。②現代社会では、法人の社会的存在と社会的活動の重要性が増大している。
③法人の活動は自然人の手によって運営され、その利益は自然人に帰属する。
(5)死者の人権
民法第3条「私権の享有は、出生に始まる。」従って、死亡と同時に、私権は終了する。
死体からの臓器移植:死者の生前の承認を必要とする立場(例えば、ドナーカード)は、法的根拠を当人の身体に対する自己決定権に求めて、その決定は死後も効力を有する。
*刑法第190条(死体損壊・遺棄の処罰)は、死者を法益(法により保護される生活上の利益)の主体として認めるのではなく、死者に対する崇敬と社会的風俗としての宗教的感情を保護するものである。
Ⅱ 基本的人権の限界
日本国憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。
基本権の根本的な問題点
①憲法は、一方で基本的人権の不可侵性を強調すると同時に、他方で「公共の福祉」を定めている。このことは、基本的人権も絶対無制限のものではないものと理解すべきなのか。②憲法の基本的人権は、国及び地方公共団体の公権力によって個人の人権が侵害されないとするものである。では、私人間の人権侵害にも憲法上の人権保障の効力が及ぶのか。
③特定の個人が国家との特別権力関係に置かれることにより、人権の制約がどの程度許されるのか。
1 基本的人権と公共の福祉
憲法が保障する基本的人権は、国家権力でさえも侵すことのできない永久の権利として保障されている。それでは、基本的人権は何の制約も受けない絶対無制限のものであろうか。(A)
あるいは、基本的人権も一定の制約に服するものなのであろうか。(B)
AかBかをめぐり、多くの議論がなされてきた。
AかBかの議論の詳細(イ)
A説:憲法第11条と第97条は、憲法の保障する基本的人権は、「侵すことのできない永久の権利」であるとして、人権の不可侵性を強調する。
B説:憲法第12条と第13条は、「国民は、これを濫用してはならない」のであり、常に公共の福祉のために利用する責任を負うとし、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とすると規定する。
AかBかの議論の詳細(ロ)
更に、移住・移転・職業選択の自由(第22条)と財産権の保障(第29条第2項)についても、日本国憲法は、「公共の福祉」に反しないことをその条件としている。
以上から、基本的人権は、「公共の福祉」によって制約することが許されるのかどうかが問題となる。また、この場合、「公共の福祉」という概念の具体的な意味内容も検討の必要がある。
[参照条文] 第22・29条
第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
初期の学説の「公共の福祉」論
初期の学説の主張
憲法が定める基本的人権は、全て「公共の福祉」によって制約される。従って、「公共の福祉」を理由に、法律は基本的人権に対する制限を定めることができる。
当時の最高裁判例(昭和30年代後半頃まで)
「公共の福祉」による制約論が重視され、その具体的内容を明らかにすることなく、表現の自由や学問の自由などを制限する法律の規定が合憲と判断された。
最大判昭和32.3.13チャタレー裁判
人間はたった一人で生活するものではない。従って、常に他人の権利や利益との調整が問題となる。基本的人権にも、その権利自体に内在する制約・限界がある。憲法にいう「公共の福祉」とは、権利と権利との衝突を防ぎ、憲法が保障する人権が、全ての国民に等しく、合理的に確保されるための原理であり、それは人権と人権との調和を保つ「公共的利益」を意味する。
昭和40年代からの公共の福祉論
1)「公共の福祉」の意味内容は、きわめて抽象的であり、曖昧である。その具体的内容については、しばしば意見の対立が見られる。
2)人権の制約が合憲であるかどうかの判断基準は、具体的・個別的に論じられるべきである。
3)そこで、抽象的な公共の福祉論から、「比較衡量」、「合理性の基準」、「二重の基準」といった具体的制約基準を論じるようになる。
1)比較衡量
比較衡量とは、「基本的人権を制限することによって得られる利益・価値(①)と基本的人権を制限しないことによって維持される利益・価値(②)とを比較衡量して、前者の利益・価値が高い(①>②)と判断される場合には、それによって人権を制限することができる」とする。最判昭和44.11.26【博多駅テレビフィルム提出命令事件】より
最高裁昭和44年11月26日大法廷
最高裁は、「報道の自由は、憲法21条の保障にある取材の自由といっても無制約ではない。報道機関の取材フィルムに対する提出命令が許容されるか否かは、①対象犯罪の性質、軽重および②取材内容の証拠としての価値、③公正な刑事裁判を実現するための必要性の程度と、これによって④取材の自由が妨げられる程度を比較衡量して決めるべきである。この件の場合、フィルムは裁判に重要な価値・必要性がある一方、報道機関がこうむる不利益は将来の取材の自由が妨げられる恐れがあるという程度にとどまるため、受忍されなければならない」 とし、抗告棄却。
2)合理性の基準
合理性の基準とは、基本的人権を制限する法律がある場合、ただ「公共の福祉」で制限されると考えるのではなく、一般的に法的規制の目的が必要性かつ合理性を有するのか、その手段についても合理性を有するのかについて、具体的・個別的に審査する。
最判昭和50.4.30【薬事法事件】より
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2016年07月10日 18:17
第14回授業用資料
日本国憲法第14回
前回までの復習
憲法の構造
1.人権宣言(前回までの授業)
2.統治機構(今回と次回の授業)
通年の授業科目として日本国憲法を勉強する場合は、人権宣言と統治機構を15回・15回に分けて説明します。しかし、半期(15回のみ)の授業科目の場合(教員養成課程の日本国憲法を含む)は、人権宣言が主であり、統治機構は従としての取り扱いになります。
今日の授業の概要
日本の統治機構について
第六章 国家の統治機構
1 国民主権と権力分立
統治機構の究極の目的=人権を守ること
1)直接民主制と間接民主制
①直接民主制:国民が政治に直接参加。
②間接民主制(別名「代表民主制」):国民が選挙により選んだ代表者を通じて政治に参加。
2)法の支配の原則(1)
イギリスは、近代国家の形成にあたって、2つの要請に応えた。
①統一的な国家権力を確立する。
②国民の自由・平等を確保する。
イギリスは、「人による支配」ではなく、「法による支配」を選んだ。なぜなら、権力は濫用されるのが常であり、それ故そうした権力を民主化しなければならなかったからである。イギリスは、政治権力が勝手に国民の自由・権利を侵害するのを防止しようとした。
2)法の支配の原則(2)
① 法は国民の意思に基づいて作られる。
② 国民は自らを不幸にする法を作らない。
③ 政治はそうした法に基づいて行なわれる。
④ 政治権力は勝手に法を作れない。
⑤ 法の支配は必ず権力分立を要請する。
以上の要請を受けて、法の支配は、実現されるところとなった。
3)三権分立主義(教科書92ページ)
三権分立主義の思想は、ロックによって発案され、モンテスキューによって完成された。
①1690年 ロック『統治二論』
第一論文:フィルマー王権神授説を批判する。
第二論文:ロックの「市民政府論」⇒不完全ながら、三権分立論が説かれた。
ロックの権力論の問題点=立法権を最高とする分立を説いた。
ジョン・ロックの名言
「人間は生来全て自由であり、平等であり、独立している。従って、自分から同意を与えるのでなければ、この状態から追われて、他人の政治的権力に服従させられることはあり得ない。人がその生来の自由を放棄し、市民社会の拘束を受けるようになる唯一の方法は他人と合意して1つの共同社会に加入し、結合することである。だが、その目的はそれぞれ自分の所有物を安全に享有し、社会外の人に対して、より大きな安全性を保つことを通じて、相互に快適で安全で平和な生活を送ることである」(第二論文「市民政府論」より)
モンテスキュー(1689-1755)
②1748年 モンテスキュー『法の精神』
モンテスキューは、イギリス政治の分析を通して、権力を三権(立法・行政・司法)に分立し、それら相互の抑制と均衡を説く理論を展開した。こうして、権力が1つの機関に集中することを防止しつつ、権力の濫用から国民の自由を守ろうとする考え方が確立された。
日本国憲法下の三権分立
わが国の三権分立主義の憲法的根拠については、以下の日本国憲法条文を確認していただきたい。
第41条 立法権(国会)
第65条 行政権(内閣)
第76条 司法権(裁判所)
*フォトギャラリー参照。わが国の制度としての三権分立。図表のみ
2 議院内閣制
1)国会中心主義
わが国では、代表民主制が採用され、主権者である国民によって選挙された議員が国会を組織する。それ故、国会中心主義が採用された。
2)国会と内閣の関係
わが国は、イギリス型の議院内閣制を採用している。その特徴は、以下の通りである。
①内閣が国会に対して政治責任を負う。
②国会の信任が内閣存立の要件とされる。
国民の意思を国政全般に反映させる。国会が内閣をコントロールする。
日本国憲法の中の議院内閣制
3)議院内閣制の憲法的根拠
①「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。」(日本国憲法第67条)
②「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。その過半数は、国会議員の中から選ばなければならない。」(同第68条)
③「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」(同第66条)
わが国の議院内閣制の構造
4)衆議院と内閣の関係
日本国憲法第69条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき(①)は、10日以内に衆議院が解散(②)されない限り、総辞職をしなければならない。
①衆議院による内閣不信任決議制度
②衆議院の解散
衆議院と参議院
5)衆議院と参議院わが国は、日本国憲法上、二院制を採用する。
「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」(日本国憲法第42条)
参議院に対する衆議院の優越が以下の点で認められる。
①内閣不信任決議(⇔解散)
②法律案の議決(第59条)
③予算の先議と議決(第60条)
④条約の承認(第61条)
⑤内閣総理大臣の指名(第67条)
6)内閣の総辞職
内閣総辞職の要件について、日本国憲法は、以下の通り規定する。
① 衆議院で内閣不信任決議案を可決または信任決議案を否決したが、10日以内に衆議院を解散しない場合(第69条)
② 内閣総理大臣が欠けた場合(第70条)
③ 衆議院議員の総選挙後初めての国会の召集があった場合(第70条)
7)衆議院の解散
衆議院解散には、以下の2つの目的がある。
① 内閣と衆議院の意見対立を調整する。
② ①の対立について、選挙を通じて国民の判断に委ねる。
衆議院議長「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する!」
衆議院議員「万歳!万歳!万歳!」なお万歳三唱の起源は大日本帝国憲法発布。
3 司法権の独立
司法権の独立の歴史的起源
1891年、ロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロウィチが滋賀県大津を通過するとき、当地の巡査津田三蔵は、同皇太子が日本を偵察していると思い込み、刀で斬りつけ、負傷させた。政府は、ロシアの報復を恐れて、日本の皇族に対する罪と同様の大逆罪で死刑にしようとした。ところが、大審院長(現在の最高裁判所長官)の児島惟謙(こじまこれかた)は、法律通り、謀殺未遂罪で無期懲役を適用したのであった。
わが国の法体系。図表のみ
司法権の定義
司法権とは、法律上の争いについて、審理・裁判する権限及び付随する権限を指す。司法権の独立とは、裁判官が法以外の拘束を受けることなく、独立して職務を行なうことを意味し、公正な裁判を保障するための大前提とされる。
なぜ司法権の独立は必要なのか?(芦部信喜説)
①司法権は非政治的権力であり、政治性の強い立法権・行政権から侵害される危険が大きい。
②司法権は裁判を通じて国民の権利を保障することを職責としているので、政治的権力の干渉を排除し、特に少数者の保護を図ることが必要である。
日本国憲法第76条
第76条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
1)司法権の独立の2つの側面
①立法機関・行政機関からの司法機関の独立(裁判所自治の原則)
②司法権内部における他の裁判官からの独立
2)裁判所の自治
①司法権を裁判所に統一的に帰属させる。(第76条)
②特別裁判所(かつての軍法会議・皇室裁判所など)は、設置できない。(第76条)
③行政機関は、終審として裁判を行うことができない。(第76条)
④規則制定権(訴訟手続きや裁判所の内部規律)を最高裁判所に認める。(第77条)
⑤下級裁判所裁判官の指名権を最高裁判所に認める。(第80条)
3)裁判官の独立
日本国憲法第76条から、全ての裁判官は、その良心に従って、独立してその職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束される。
裁判官の罷免事由は、以下の通りである。
①最高裁判所の裁判官について、国民審査において投票者の多数が罷免を可とする場合(同憲法第79条)
②裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合(同憲法第78条)
③罷免の訴追を受けた裁判官について、国会が設けた弾劾裁判所による弾劾裁判により、罷免事由に相当すると判断された場合(同憲法第64・78条)
4 違憲立法審査権(違憲法令審査権)
日本国憲法第81条最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
*近代憲法は、立法権に対する司法権の優位を承認する。承認方法としては、かかる問題を取り扱うための特別の裁判所を設置するか、既存の裁判所にその機能を持たせるか、2つの方法が考えられる。わが国は後者を採用した。
日本国憲法第81条の解釈論
現行憲法第81条から、最高裁判所が、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所であることが分かる。*フォトギャラリー38参照。
同条の解釈については、
第一に、裁判所は国の立法・行政・司法の各作用及び地方公共団体の作用の一切を審査の対象にすることができる。
第二に、裁判所は、当該作用について、その制定手続が憲法に適合するかどうかという形式的審査(①)とその内容が憲法に適合するかどうかという実質的審査(②)の両方を行うことができる。
補論 憲法を支える思想
憲法の根底には、憲法を支える思想がある。
J・ロック、J・J・ルソー、そしてM・モンテスキューなどの哲学者がいなければ、社会契約・国民主権・権力分立の概念が生まれなかったと言っても言い過ぎではない。
ただ彼らの影響力は、近代市民革命期に成立した憲法において甚大であった。それでは今はどうか。そこで、以下では、J・ロールズ、R・ドゥウォーキン、そしてW・キムリッカを取り上げる。
*フォトギャラリー参照。写真のみ
ジョン・ロールズ
J・ロールズの正義論(1)
ロールズ(John Rawls 1921-2002)は、主著『正義論』(1971)を世に問い、20世紀を代表する哲学者の仲間入りを果たした。
人びとは次のようなルールに同意するに違いない。一方のルールは、“何らかの不平等が起こるとしても、その不平等は、平等な機会を与えられた、全てのメンバーによる公正な競争の結果として生じた不平等でなければならない”であり、他方のルールは、“不平等が残るとしても、それは社会の中で最も不遇な生活を強いられる人びとの境遇を改善するものでなければならない”である。
J・ロールズの正義論(2)
ロールズの正義論(“公正としての正義”と通称される)は、当時の公民権運動などを背景にしながら、アメリカ合衆国で広く議論を呼び、また受け入れられた。現在でも“民主主義的な制度のなかで他者の尊重”を具体的に考える上で、“重要な出発点”と目されている。
ロールズの正義論の誕生を誘った社会背景についての説明は実に重要であり、現代憲法の辿る歩みに少なからず影響を与えた。
ロナルド・ドゥウォーキン
R・ドゥウォーキンの権利論(1)
ドゥウォーキンは、前国家的・超憲法的視点から、権利論を展開している法学者である。
ドゥウォーキンによれば、「基本権」(=「基本的人権」)とは、全ての人間がただ人間であるというそれだけの理由によって、無条件に等しく保持するのが当然とされている権利である。しかも、それは法律及びその他の制度上の規範に先立って、それらとは独立に存在する。彼自身はこのような基本権を「平等な配慮と尊重を求める権利」と呼んでいる。全ての人は、かかる権利を享有すると同時に、「善良な生き方」についての自己の考えを形成し、それに基づいて行動することができる人格として尊重されなければならない。
R・ドゥウォーキンの権利論(2)
ドゥウォーキンによれば、法はルールの総体ではないのである。彼は、実定法を考察する上で、実定法の背後にある「原理」を尊重する。法の効力は、原理によって、基礎づけられる。
原理とは何か。彼によれば、それは「重みとか重要性といった特性」に他ならない。例えば、自動車の消費者を保護する政策と契約自由の原理が相互に抵触するとき、つまり複数の原理が抵触し合うとき、この抵触を解決しようとする者は、抵触する原理相互間の「相対的な重み」を考慮に入れなければならない。この重みに彼は「原理概念の本質的要素」を認めた。
ウィル・キムリッカ
W・キムリッカの多文化主義(1)
人間は自律的存在である。つまり、人間はある程度まで自分自身の運命を管理し、一生を通じて継続的に自分自身の決定によって当該運命を形成することが理想である。すると人間的自律の条件とは何か。伝統的な自律の条件は、近代立憲主義によって保障される、言論の自由、結社の自由、信教の自由、教育の機会の平等などに求められている。こうした伝統に対して、キムリッカは、それだけでは十分ではないと考える。人びとが自律を獲得・発達させるためには、彼らの帰属する「文化」の維持・繁栄が必須だからである。彼の場合、カナダという彼自身の帰属する「文化共同体」の中で生活し、伝統的な自律の条件に〈新たに〉文化を付け加えたのである。
W・キムリッカの多文化主義(2)
文化とは、各人の自律に必須の「選択の脈絡」に他ならない。「私たちは、こうした文化的物語の中に私たち自身を定位することによって、どのように私たちの生を送るかを決定する」のである。その上で、キムリッカによって、「少数派の権利」(Minority Rights)及び「少数派の文化」(Minority Cultures)が擁護される。
例えば、政府が公用語、国内の境界線、国民の公休日などを決定しようとするとき、「特定のエスニック集団と民族集団のニーズやアイデンティティの承認、包容、支援」を伴うことは避けられない。これにより国家はある一定の文化的アイデンティティを強化し、それによって他の文化的アイデンティティに不利益を与えることになる。
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2015年11月25日 07:22
第7回授業用資料
法の下の平等
日本国憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
法の下の平等の意味
①個人の尊厳の思想と同じく、人権規定の総則的な意味をもつ原則である。
②近代憲法は、自由の確立と同時に、法の下の平等を宣言している。
③自由と平等の二原理は、相互に関連し依存し合い、封建制度や絶対王政における身分的差別を撤廃し、人間の自由を確立してきた。
形式的平等と実質的平等
19世紀:形式的平等(機会の平等)
全ての個人を法的に平等に取り扱い、自由な活動を保障した。だが、資本主義の発展に伴って、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧困にあえぐ。貧富の格差をもたらした。
20世紀:実質的平等(結果の平等)
経済的自由に制約を加えると同時に、社会的経済的弱者を手厚く保護し、全ての国民が自由と平等を維持できるよう生存権を保障した。
明治憲法と現行憲法の違い
明治憲法第19条の場合
「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官二任セラレ及其ノ公務ニ就クコトヲ得ル」(国民の公務就任資格の平等保障)
現行憲法第14条の場合
第1項:法の下の平等の原則を宣言する。
第2項:華族・貴族制度を廃止する。
第3項:栄典に伴う特権を禁止する。
現行憲法における平等の徹底
①普通選挙の一般原則(第15条)
②請願を理由とする差別禁止(第16条)
③選挙人の資格の平等(第44条)
④両性の本質的平等(第24条)
⑤教育の機会均等(第26条)など
これらの条文を通じて、現行憲法は、平等原則の徹底を図っている。ただ法の下の平等を保障するだけでは不十分だった。
法の下の平等の意味(詳解)
①憲法第14条の「法の下の平等」は、第13条の「個人の尊重」を受けての「平等」を意味する。つまり、人は「個人として尊重される」からこそ、平等でなくてはならないという考え方に立っている。
②このとき「法」は、法律、命令、規則、条例などの成文法のみならず、判例法、慣習法といった不文法も含む。
③「法の下の平等」は、①法を具体的に適用する行政権及び司法権だけを拘束し、法が無差別に適用されるべきことを要求するのか、②それとも立法権をも拘束し、法の内容も平等の原則に立って制定すべきことを要求するのか。通説では、法を適用する行政権及び司法権のみならず、法を制定する立法権をも拘束する。なぜなら、不平等な法を平等に適用することは不可能だから。
旧刑法には、「妻が姦通したときは、2年以下の懲役に処せられる」とする妻の姦通を禁止・処罰する刑罰規定が存在した。かかる不平等な内容をもつ法を、いかに平等に適用しても、依然として姦通に関する妻と夫の不平等は残ることになる。それ故に、「法の下の平等」とは、法を不平等に適用することを禁じるのみならず、不平等な取り扱いを内容とする法の制定をも禁じた。
ところで、憲法第14条第1項後段では、国民は、「①人種、②信条、①性別、③社会的身分または①門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定される。ここで言う、①「人種、性別、門地」=「生まれ」による差別を排除する。先天的条件はその人の能力と無関係である。②「信条」=宗教的信仰、人生や政治に関する思想によって差別することも許されない。③「社会的身分」=人が社会において占める継続的な地位を指す。労働者、使用者、学生など。
以上から、憲法第14条は、平等な取り扱いを厳しく要求し、差別的な取り扱いを禁止している。それでは、いつでも絶対的に平等に取り扱うことが要請されるのであろうか。通説は、立法者に対しては、絶対的平等ではなく、相対的平等を要請するに止まる。なぜなら、事実としての個人差(少年と成人、男性と女性、公務員と非公務員の差異)を全く無視して平等に取り扱うことが真の平等とは言えないからである。つまり、それが合理的差別なのである。
通説は、相対的平等が、正義にかなった平等であるとする。つまり、「合理的差別」は憲法に抵触しない。なお通説では、「正義に反する差別」や「合理性を欠く差別」などを禁止する。しかし、何がそれに該当するかは、個別に検討されなければならない。
①女性と男性の身体的差異に基づき女性の労働条件を優遇する(労働基準法第64条の2「第6章の2妊産婦等」以下)
②年齢によって権利や責任を区別する(少年法)
③所得の多い者に多額の税を課す(累進課税)
④公務員に特別の法的規制を加える(公務員法)
①尊属殺重罰規定の合憲性
刑法第199条
「人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若シクハ三年以上ノ懲役ニ処スル」=普通殺人
刑法第200条
「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処スル」=尊属殺人
殺害した相手が尊属であるか卑属であるか(次頁参照)により、刑罰にこれ程の差別があるのは、社会的身分に基づく不合理な差別ではないのか。
最高裁大法廷(昭和48年4月4日)は、尊属殺事件において、以下のように判断を示した。かつては、「夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本」であるとして刑法第205条第2項(尊属傷害致死罪)及び刑法第200条を合憲としていた。だが、この判決では、親の尊重という立法目的自体の合理性を認めつつ、刑罰が極端に重い点は、普通殺人に比べて「著しく不合理な差別的取り扱いをするもの」であるから、憲法第14条第1項に違反して無効であると判断した。これによって、平成7年、刑法第200条及び刑法第205条第2項は削除された。
②議員定数不均衡の合憲性
公職選挙法別表が定める議員定数配分規定は、都市部への人口移動にもかかわらず、人口に比例した改正がなされていないため、選挙区の議員定数の配分に不均衡が生じ、選挙人の投票価値(「1票の重み」)に不平等が存在する結果となっている。こうした議員定数の不均衡を認める別表は、憲法第14条違反に当たるのではないかとする問題である。
③永山基準について
1968(昭和43)年、盗んだ拳銃を使って全国各地で立て続けに4人を射殺する「永山則夫連続射殺事件」が発生。この事件の裁判の判決は、「永山基準」とも呼ばれている。具体的には、(1)犯罪の性質 (2)犯行の動機 (3)犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性 (4)結果の重大性、特に殺害された被害者の数 (5)遺族の被害感情 (6)社会的影響 (7)犯人の年齢 (8)前科 (9)犯行後の情状 を総合的に考慮して死刑を適用するかを判断する。4名以上を殺害した場合は、原則として死刑が適用される。
精神的自由権
自由権とは、「国家からの自由」という意味であり、人権規定の中心的位置を占めている。
日本国憲法の自由権の分類について
精神的自由権・経済的自由権・人身の自由
精神的自由権 ①思想・良心の自由(第19条)
②信教の自由(第20条)
③学問の自由(第23条)
④表現の自由(第21条)
思想・良心の自由
日本国憲法第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
*以下では、この条文の意味について考察します。
憲法第19条は、人間の内心の自由として「思想の自由」と「良心の自由」を保障する。
現行憲法があえて精神的自由に関する諸条文の冒頭に思想・良心の自由の保障を規定した理由=明治憲法では、反国家的・反政府的な思想を理由として、①国民(臣民)に不利益(刑罰)を科し、②思想・良心に対して干渉し(教育勅語など)、③思想・良心の告白を強制し(踏絵や調査など)、内心の自由そのものを侵害してきたから。
思想・良心の自由は、人間の尊厳の基本的条件として、物事の考え方や見方の自由を絶対的に保障することにより、内面的精神活動を弾圧から防衛しようとする規定である。
思想・良心という内心の自由が完全に保障されてこそ、その外面的な行動・活動に該当する信教の自由、学問の自由、表現の自由を実現できるのであり、それは民主主義の最も根本的な前提条件となる。
用語の定義
①「思想の自由」=論理的に何が正しいのかを考えることの自由(例えば、正・誤など)
②「良心の自由」=倫理的な判断に関する自由(例えば、善・悪など)
*思想の自由と良心の自由は、人間の内心における思考(例えば、世界観、人生観、主義、信条など)といった精神的活動の自由を意味する包括的な呼称として解されている。
思想・良心を「侵してはならない」とは、
①国民がいかなる世界観、人生観、そして主義や主張を持っていたとしても、それが内心の領域に止まる限り、絶対的に自由であり、国家権力はそれを制限・禁止することはできない。たとえ暴力的破壊的な思想であっても、内心の思想に止まる限り保障されなければならない。
②思想・良心の自由は、自己の思想・良心の告白を強制されない「沈黙の自由」を含む。
沈黙の自由
思想及び良心の表出を強制する害悪を確実に防止するためには、「沈黙の自由」も認めることが必要である。なぜなら、「沈黙の自由」を含む以上、思想・良心の表出を強制することは許されないからである。
最大判昭和31.7.4.【謝罪広告強制事件】
この事件では、名誉毀損に対する救済措置として新聞紙上に「謝罪広告」を掲載すべきことを命じる判決の合憲性が争われた。最高裁は、民法第723条の名誉回復処分として加害者に新聞紙上などへ謝罪広告の掲載を命じることは、「単に事態の真相を告白し、陳謝の意を表明するにとどまる程度」であり、屈辱的もしくは苦役的労苦を科する、または倫理的な思想・良心の自由を侵害するものではない。従って、憲法第19条に違反しない。
思想・良心の自由の対象範囲について
①信条説=思想・良心の自由とは、「思想の他に、宗教的信仰や体系的知識に準じるべき、主義、イデオロギー、世界観など」を指す。謝罪の意思表示の基礎にある道徳的な反省と誠実さは、「単なる是非弁別の意識、ないし判断ごときに留まる場合には、思想・良心の自由の保障の対象ではない」とする。(通説と判例の立場)
②内心説=思想・良心の自由とは、「人の内心における精神活動全般」を指す。「単に世界観などに限らず、事実に関する是非弁別の判断や事実に関する知識も原則として本条の保障対象とされる」とする。
信教の自由
日本国憲法第20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
政治的宗教的な自由主義は、中世的な宗教弾圧に対する抵抗から生まれた。従って、信教の自由は、歴史的に言って、精神的自由権の中で最も重要な地位を有する。
「メイフラワー誓約」(1620年):神の栄光とキリスト教信仰の振興および国王と国の名誉のために、バージニアの北部に最初の植民地を建設するために航海を企て、開拓地のより良き秩序と維持、および前述の目的の促進のために、神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし、我々みずからを政治的な市民団体に結合することにした。これを制定することにより、時々に植民地の全体的善に最も良く合致し都合の良いと考えられるように、公正で平等な法、条例、法、憲法や役職をつくり、それらに対して我々は当然の服従と従順を約束する。君主にして国王ジェームズのイングランド、フランス、アイルランドの11年目、スコットランドの54年目の統治年11月11日、ケープコッドで我々の名前をここに書することを確かめる。
明治憲法第28条:日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
「安寧秩序」を妨げり、「臣民タルノ義務」に背いたと認められたときは、法律または命令によって制限することができる信教の自由である。つまり、当時は、神道が国教的地位にあり、優遇的に取り扱われた。従って、明治憲法における信教の自由は、神社の国教的地位と両立する限りで認められたにすぎない。
最大判昭和38.5.15.【加持祈祷による傷害致死事件】
宗教的行為の自由は、憲法上、最大限尊重されなければならない。しかし、その自由は決して無制限ではない。「加持祈祷」という宗教的行為に名を借りて、個人の生命や身体に危害を及ぼすような行為などは、信教の自由の限界を越えた反社会的行為であり、それを処罰することは違憲ではない。
争点:①信教の自由は無制限に保障されるか。②加持祈祷は正当業務行為として刑事免責されるか。
判決:上告棄却(有罪確定)
結論:①信教の自由は公共の福祉により制限される。②加持祈祷は正当業務行為とされず、刑事責任を問われる。
最決平成8.1.30.【オウム真理教事件】
オウム真理教への解散命令の合憲性が争われた。最高裁判所は、「大量殺人を目的としてサリンを大量に生成するという、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められ、宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたことが明らかであり、他方、解散命令によって代表役員、幹部、信者らの宗教上の行為に生ずる支障は間接的で事実上のものにとどまるので、本件(宗教法人法第81条による)解散命令は必要でやむを得ない法的規制である」とした。
信教の自由を確保するためには、国家と宗教を制度的に分離することが必要である。特定の宗教のみが国家によって公認されてはいけない。これを「政教分離の原則」と称する。
①憲法第20条第1項後段は「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定める。
②同条第3項は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定める。国家から特権を受ける宗教を禁止すると同時に、国家が宗教教育その他の宗教活動を行なうことも禁止する。国家は宗教的に中立である。
政教分離の原則を徹底するために、憲法第89条は、財政面から公金や公の財産を宗教上の組織や団体の用に供してはならないとする。
日本国憲法第89条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
最大判昭和52.7.13.【津地鎮祭訴訟】最高裁多数意見を読んでみよう。
「元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとする」ものである。政教分離規定の性格を制度的保障原理であると見ている。
【概要】三重県津市の市立体育館の起工式が行われた際、神式の「地鎮祭」が行われ、その費用を同市長が公金から支給した。それが「政教分離原則」に反しないかが争われ、第一審は合憲、第二審は違憲の判決が下された。そこで市側が上告した。
【争点】①政教分離原則の意義は。②地鎮祭への公金支出は合憲か。
【判決】 ①関係性が一般常識を超え、宗教を促進すれば違憲。②地鎮祭の公金支出は合憲。
国家と宗教との関係性の一切が禁止されるものではない。国家の行為の目的や効果から見て、「宗教とのかかわり合いが、わが国の社会的・文化的諸条件に照らして相当とされる限度を超えるものと認められた場合」に許されないとされる。これが相対的分離説である。
現行憲法第20条第3項で禁止する「宗教活動」とは、「相当とされる限度を超えるもの」=「その行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」と解される。=「目的・効果基準」の理論
仙台高判平成3.1.10.【岩手靖国訴訟事件】
地方公共団体の議会が天皇や内閣総理大臣等閣僚による靖国神社公式参拝の要請決議を行ったことをめぐって、国家神道の象徴的存在であった靖国神社に総理大臣が国民を代表する形で公式参拝することは、政教分離の原則から違憲ではないかとする争いがあった。
控訴審判決は、「政教分離の原則に照らし、相当とされる限度を超える国と宗教上のかかわり合い」をもたらすものとして、違憲の疑いが強いとされた。
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2015年11月18日 03:35
第6回授業用資料
基本的人権の限界
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。
基本的人権の問題点
①憲法は、一方で基本的人権の不可侵性を強調すると同時に、他方で「公共の福祉」を定めている。このことは、基本的人権も絶対無制限のものではないものと理解すべきなのか。
②憲法の基本的人権は、国及び地方公共団体の公権力によって個人の人権が侵害されないとするものである。では、私人間の人権侵害にも憲法上の人権保障の効力が及ぶのか。
③特定の個人が国家との特別権力関係に置かれることにより、人権の制約がどの程度許されるのか。
基本的人権と公共の福祉
憲法が保障する基本的人権は、国家権力でさえも侵すことのできない永久の権利として保障されている。
それでは、基本的人権は何の制約も受けない絶対無制限のものであろうか。(A)
あるいは、基本的人権も一定の制約に服するものなのであろうか。(B)
AかBかをめぐり、多くの議論がなされてきた。
A説:憲法第11条と第97条は、憲法の保障する基本的人権は、「侵すことのできない永久の権利」であるとして、人権の不可侵性を強調する。
B:憲法第12条と第13条は、「国民は、これを濫用してはならない」のであり、常に公共の福祉のために利用する責任を負うとし、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とすると規定する。
公共の福祉に関する初期の学説
憲法が定める基本的人権は、全て「公共の福祉」によって制約される。従って、「公共の福祉」を理由に、法律は基本的人権に対する制限を定めることができる。
当時の最高裁判例(昭和30年代後半頃まで)
「公共の福祉」による制約論が重視され、その具体的内容を明らかにすることなく、表現の自由や学問の自由などを制限する法律の規定が合憲と判断された。
*チャタレー裁判最高裁大法廷
人間はたった一人で生活するものではない。従って、常に他人の権利や利益との調整が問題となる。基本的人権にも、その権利自体に内在する制約・限界がある。憲法にいう「公共の福祉」とは、権利と権利との衝突を防ぎ、憲法が保障する人権が、全ての国民に等しく、合理的に確保されるための原理であり、それは人権と人権との調和を保つ「公共的利益」を意味する。
田中耕太郎裁判長の意見
1)猥褻とは、徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。
2)芸術作品であっても、それだけで猥褻性を否定することはできない。
3)猥褻物頒布罪で被告人を処罰しても憲法21条に反しない。
4)第一審判決で無罪としたが、控訴審で第一審判決は法令の解釈を誤り、事実を誤認したものとして、これを破棄し、自ら何ら事実の取調をすることなく、訴訟記録及び第一審裁判所で取り調べた証拠のみによって、直ちに被告事件について、犯罪事実を認定し、有罪の判決をしたことが、刑訴法400条ただし書きに反しないとされた。
昭和40年代からの公共の福祉
1)「公共の福祉」の意味内容は、きわめて抽象的であり、曖昧である。その具体的内容については、しばしば意見の対立が見られる。
2)人権の制約が合憲であるかどうかの判断基準は、具体的・個別的に論じられるべきである。
3)そこで、抽象的な公共の福祉論から、「比較衡量」、「合理性の基準」、「二重の基準」といった具体的制約基準を論じるようになる。
比較衡量
比較衡量とは、「基本的人権を制限することによって得られる利益またはその価値とそれを制限しないことによって維持される利益または価値とを比較衡量して、前者の利益またはその価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる」とする。
最判昭和44.11.26【博多駅テレビフィルム提出命令事件】
1968(昭和43)年1月16日早朝、米軍原子力空母エンタープライズの佐世保寄港阻止闘争に参加する途中、博多駅に下車した全学連学生に対し、待機していた機動隊、鉄道公安職員は駅構内から排除するとともに、検問と持ち物検査を行った(これを「博多駅事件」という)。
護憲連合等は、この際、警察官に特別公務員暴行陵虐・職権濫用罪にあたる行為があったとして告発した。地検は不起訴処分。これに対し護憲連合等は付審判請求を行った。
福岡地裁は、地元福岡のテレビ局四社(NHK福岡放送局、RKB毎日放送、九州朝日放送、テレビ西日本)に対し、事件当日のフィルムの任意提出を求めたが拒否。提出を命令。この命令に対して4社は、「報道の自由の侵害であり、提出の必要性が少ない」という理由に通常抗告を行う。
福岡高裁は、「報道の自由といえども公共の福祉により制限されること、裁判でのフィルムの使用は『態様を異にした公開』とも考えられ報道機関の不利益は少ないこと、またフィルム提出は審理にとって必要であること」等の理由で、抗告棄却の決定を行う。最高裁に特別抗告を行ったが、抗告棄却。
最高裁大法廷昭和44年11月26日
最高裁は、「報道の自由は、憲法21条の保障にある取材の自由といっても無制約ではない。報道機関の取材フィルムに対する提出命令が許容されるか否かは、①対象犯罪の性質、軽重および②取材内容の証拠としての価値、③公正な刑事裁判を実現するための必要性の程度と、これによって④取材の自由が妨げられる程度を比較衡量して決めるべきである。この件の場合、フィルムは裁判に重要な価値・必要性がある一方、報道機関がこうむる不利益は将来の取材の自由が妨げられる恐れがあるという程度にとどまるため、受忍されなければならない」 とし、抗告棄却。
合理性の基準
合理性の基準とは、基本的人権を制限する法律がある場合、ただ「公共の福祉」で制限されると考えるのではなく、一般的に法的規制の目的が必要性かつ合理性を有するのか、その手段についても合理性を有するのかについて、具体的・個別的に審査する。
最判昭和50.4.30【薬事法事件】
正式名称は「薬事法薬局距離制限規定違憲事件」。広島県福山市で薬局を開設することを同県に申請した者が、広島県から不許可処分を受けたことを不服として提訴した行政処分取消請求事件。
1975(昭和50)年4月30日、薬事法6条2項の規定は違憲無効、不許可処分も無効であるとの判決が最高裁判所より言い渡された。
原告(会社)は地元の福山市に本店を置き、福山市や広島市でスーパー・化粧品販売業・薬品販売業などを経営している。
原告は広島県福山市の保健所に薬局「くらや福山店」を設置することを申請。しかし申請後、県の回答が出される前に薬事法が改正され、「薬局距離制限規定」が導入される。改正後の薬事法および県条例をもとに、県は不許可決定を原告に通知。
この不許可決定の背景には、原告の申請場所は最も近い「既存の薬局から水平距離で55mのところにあり、しかも半径約100m圏内に5軒、半径約200m圏内に13軒の薬局」があった。
不許可決定を受け、①申請受理後の法改正にもかかわらず改正後の法律を適用している、②申請場所は国鉄福山駅前の繁華街であり薬局が密集していても過当競争になるおそれがない、③薬事法の改正自体が憲法22条が保障する営業の自由を侵害し違憲である、以上から処分は違法と目される。
二重の基準
二重の基準とは、精神的自由を規制する法律に対する裁判所の合憲性の判断基準は、経済的自由を規制する法律に対する基準よりも厳格である必要がある。
つまり、精神的自由を規制する法律は違憲の推定を受ける。それを合憲とするには、立法部は、その立法に当たり、そうした規制立法を必要とする特別な理由があることを立証しなければならない。この立証が不十分であるとき、当該立法は違憲と判断される。
他方、経済的自由の規制は、規制立法が著しく不合理なことが明白である場合のみ、違憲とされる。
最大判昭和47.11.22【小売市場開設許可制事件】
被告人(会社)は、大阪府茨木市に本店を置き市場経営をする法人。 その代表者が、同府知事の許可を受けないで、東大阪市に平家1棟を建設し、新しく小売市場とするために野菜商4店舗、生鮮魚介類商3店舗を含む49店舗を小売商人ら47名に貸し付けた。
この行為が、小売商業調整特別措置法3条1項および同法5条1号に基づき定められた大阪府小売市場許可基準内規に違反するとして、被告人及び代表者が起訴された。
【最高裁主文】本件各上告を棄却する。
私人間における基本的人権の効力
通説=間接効力説
①憲法の保障は、人権に対する国の侵害行為の禁止にある。
②それは、直接的には、私人間の侵害問題には関係しない。
③しかし、憲法が基本的人権を保障する以上、ある種の自由や権利の侵害は、私人間の契約でも禁止されるべきである。
④憲法規定は私人間の権利侵害行為には直接的には適用されないが、著しく人権を侵害する内容の契約では、民法第90条を通して、私人間にも人権規定が適用される。
⑤つまり、憲法の人権規定は、民法90条「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」を通して、間接的に適用されると解する。
三菱樹脂採用拒否事件
1963(昭和38)年3月、東北大学法学部を卒業した原告は、三菱樹脂株式会社に、将来の管理職候補として、3カ月の試用期間後に雇用契約を解除することができる権利を留保するという条件の下で採用されることになった。
ところが、原告が大学在学中に学生運動に参加したかどうかを採用試験の際に尋ねられ当時これを否定した。その後の会社側の調査で、原告がいわゆる60年安保闘争に参加していたという事実が発覚。「本件雇用契約は詐欺によるもの」として試用期間満了に際し、会社側は原告の本採用を拒否。これに対して、原告が雇用契約上の地位を保全する仮処分決定(東京地裁昭和39年4月27日決定)を得た上で、「会社側による本採用拒否は被用者の思想・信条の自由を侵害する」として、雇用契約上の地位を確認する訴えを東京地方裁判所に提起。
1973(昭和48)年12月12日、最高裁は、大法廷において、「憲法の人権規定は、民法をはじめとする私法関係においては、公序良俗違反(民法90条)、信義誠実の原則(b:民法1条)、権利濫用(同)、あるいは不法行為(b:民法709条)などの規定を解釈するにおいてその趣旨を読み込むことも不可能ではないが、人権規定は私人相互間には原則として直接適用されることはない」とし(「間接効力説」)、その上で、「雇用契約締結の際の思想調査およびそれに基づく雇用拒否が当然に違法となるわけではない」旨の判示をした。
その他の判例も間接効力説に立脚する。
①東京地判昭和41年12月20日
【結婚退職制訴訟】
結婚退職制に関して、「結婚の自由は重要な法秩序の形成に関連し、かつ基本的人権の一つとして尊重されるべき」である。これを合理的理由なくして制限する「労働協約、就業規則、労働契約はいずれも民法第90条に違反し効力を生じない」と判示した。
②最判昭和56年3月24日
【日産自動車男女別定年制事件】
男女の定年制の年齢に5歳の差を設ける就業規則は、「専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法第90条の規定により無効であると解するのが相当である」としている。
基本的人権と特別権力関係
国民と国家・地方公共団体との関係
①国民が単なる一般市民としての立場における国家との支配従属関係=一般権力関係
②国民の中でも特別な目的や法律上の原因により特別な地位や立場におかれ、一般市民とは異なる特殊な支配服従関係=特別権力関係
以下では、特に、後者②の関係性について、詳細に検討することになる。
憲法の人権規定が特別権力関係にある者に適用されない場合がある。
①本人の自由意思(同意)によって当該関係が成立する場合=公務員の勤務関係
公務員は、「全体の奉仕者」 (憲法15条及び同99条)という立場から、公務員法上、政治活動の自由(21条)や労働基本権(28条)が著しく制限されている。
②本人の自由意思によるのではなく、強制的原因によって当該関係が成立する場合
・伝染病予防法の適用される強制隔離患者は移住移転の自由(憲法22条)が制限される。
・監獄法により囚人とされた者には、移住移転の自由や新聞・ラジオなどを読み聞く自由(憲法21条)などが制限される。
なお、権利制限は、当該制限がなければ、その存在目的を実現できない合理的な最小限度の範囲に止めなければならない。
包括的基本権
ヴァージニア権利章典(1776年)
人間の生来の権利は、「財産を取得所有し、幸福と安全とを追求獲得する手段を伴って、生命と自由とを享受する権利」である。
アメリカ合衆国独立宣言(1776年)
私たちは、「自明の真理として、全ての人は平等に造られ、創造主によって、一定の奪い難い天賦の権利を付与され、その中に生命、自由及び幸福の追求の含まれる」ことを信じる。
日本国憲法第13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を包括的に規定する。だが、今日、制定当時には考えられなかった「新しい人権」の保障が要請されている。
①私たちは今後どこから裁判上の救済を受け得る具体的な権利を導き出すことができるのであろうか。
②それができるとしたら、私たちは、どのような内容の権利を導き出せるのか。
権利の具体性と抽象性
1)権利には、抽象的な権利と具体的な権利がある。前者は裁判で活用されず、後者は裁判で活用される。
2)私たちは後者の権利がなければ、実際に裁判で自身の立場を擁護できない。
3)前者の権利は、必要ではあるが、出訴できない。
日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。(以上前段)
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(以上後段)
同条解説
前段:個人の尊重という近代社会の基本原理が確認される。
後段:生命、自由及び幸福追求の権利(「幸福追求権」と総称される)は公共の福祉に反しない限り、国政上最大の尊重を必要とする。こうして日本国憲法が個人主義を国政の基本原則として採用することが明言される。
プライバシーの権利
プライバシーの権利とは、「ひとりで放っておいてもらう権利」である。19世紀終わり頃からアメリカの判例において認められてきた。
1964(昭和39)年「『宴のあと』事件」一審判決
プライバシーの権利とは、「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」と定義される。この権利は、個人の尊厳を保ち、幸福の追求を保障するために不可欠である。
プライバシーの権利は、報道・表現の自由などと衝突することが多いため、両者をどのように調停するかについては未解決のままである。
プライバシーは、現代社会において欠くことのできない重要な権利であるが、それが他の権利に優越するとは限らない。
なぜなら、報道の自由や表現の自由も最大限保障されなければならないからである。
そこで、現在では、
①個人のプライバシーを保護することによって得られる利益
②報道・表現の自由を保障することによって得られる利益
①と②を比較衡量し、どちらの利益が公共の福祉のために必要であるかにより判断される。なお、プライバシーが公表されるとしても、それは必要最小限の範囲に留めるべきであろう。
現代社会は、中央官庁の大型コンピュータが集中管理する「国民総背番号制」の時代である。
コンピュータによる情報管理の功罪
①行政の能率化にプラスの効果をもたらす。
②個人情報が暴露されたり、悪用されたりする恐れがある。従って、国民のプライバシーや人権を侵害する危険性も高くなる。
それ故、最近では、「自己に関する情報をコントロールする権利」(通称「情報プライバシー権」)が主張されるようになる。
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2015年10月18日 16:38
第5回授業用資料
以下は、第5回目の授業用資料になります。必ず目を通しておいてください。
1)人権思想の確立
1215年 マグナ・カルタ
1689年 権利章典
1776年 ヴァージニア権利章典(メイソン起草)
1776年 アメリカ独立宣言(ジェファーソン起草)
1789年 フランス人権宣言(ラファイエット起草)
なお、これらの起草文へのジョン・ロックの『統治二論』(1690年)の影響は重要である。
近代は、中世の封建制及び近世の絶対制に対して、人民の権利を要求し、市民の契約により国家を形成し、人権保障を確立しようとした。
基本的人権の思想的源流
①個人の尊厳の思想
②近代自然法の思想
特に、ロックによれば、人権に先立って国家が存在するのではなく、国家は人権を保護・防衛するために存在する。
2)人権思想の普及
ヴァージニア権利章典(1776年)
「全ての人は、生来平等に自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は人民が社会(国家)を組織するに当たり、いかなる契約によってもその子孫からこれを奪うことはできない」(第1条)
フランス人権宣言(1789年)
「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。社会的差別は共同の利益の上にのみ設けることができる」(第1条)
市民革命の世紀(=18世紀)の人権宣言は、19世紀から20世紀前半にかけて、ヨーロッパ諸国に大きな影響を与えた。
各国の憲法において、国民主権、人権保障、権力分立、議会制及び国民の参政権などの原理を含む近代立憲主義の原則が採用され制定されていった。
3)自由権から社会権へ
人権宣言の歴史を回顧してみよう。
人権の内容面で大きな変化が見られることを確認しよう!
19世紀の人権宣言=自由権を中心とする自由国家的人権宣言
20世紀の人権宣言=社会権をも保障する社会国家的人権宣言
それ故、社会権=「20世紀型人権」
1919年のワイマール憲法では、
①「経済生活の秩序は、すべての者に人間に値する生活を保障することを目的とする正義の原則に適合しなければならない」(第151条)=社会的経済的弱者の保護及び国家の積極的活動の義務
②「所有権は義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきである」(第153条)=財産権はもはや不可侵の権利ではない。社会的な拘束を負う。
社会権の保障は、形式的な平等主義から 実質的な平等主義への移行を意味する。
社会権(生存権、教育を受ける権利、勤労の権利、労働基本権など)の保障を取り入れ、「社会国家」として国民の福祉の向上に努める。なお、こうした国家を「福祉国家」と呼ぶ場合もある。両者は名称の違いがあるものの、その目指すところはほぼ同じである。今日の社会福祉及び社会保障の直接の起源と目される。
4)人権宣言の国際化
20世紀の人権思想的傾向
人権保障を単に国内法のみならず、国際法的にも実現する=人権宣言の国際化
1945年 国連憲章
1948年 世界人権宣言
1966年 国際人権規約
1954年 難民の地位に関する条約
1981年 女子差別撤廃条約
1990年 児童の権利に関する条約
児童の権利に関する条約⇒ヤヌシュ・コルチャック
1878年7月22日~1942年8月?
ユダヤ系ポーランド人。
ナチス・ドイツの統治下のワルシャワにあるゲットーでユダヤ人孤児のために孤児院を運営する。子どもの権利と子どもたちの完全な平等のために活動した先駆者である。
日本国憲法の人権保障
第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第11条 国民は、全ての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
日本国憲法第11条解釈
①人権は天から国民に与えられたものである。
②法律をもってしても人権を侵すことができない。
日本国憲法第97条解釈
人権の永久不可侵性が繰り返し明言される。なお、第97条が「第十章 最高法規」に置かれているのは、基本的人権の保障の重要性を示す。
憲法上配慮を必要とする人権について
1)天皇・皇族の人権
天皇・皇族=日本国籍を有する日本国民=天賦人権的な基本権の保障
天皇は、憲法上特別な身分にあり、一般国民とは異なる特殊な身分関係または法律関係にある。従って天皇は、人権保障において一定の制限を受ける。
思想・良心の自由(第19条)、学問の自由(第23条)などは保障される。
選挙権や被選挙権(第15条、第44条)などの参政権は認められない。信教の自由(第20条)、表現の自由(第21条)、移住移転・職業選択の自由(第22条)なども一定の制限を受ける。
2)外国人の人権
通説・判例の立場
日本国憲法第11条の規定があるにもかかわらず、外国人も、日本領土内に在住する限り、わが国の法の適用を受ける。「属地主義」が採用される。⇔「属人主義」
従って、原則、外国人にも基本的人権が保障される。なぜなら、基本的人権は人類普遍の原理であり、日本国憲法が国際協調主義に立つことを考慮すれば、人権の主体は、日本に在住する外国人にも適用されるものと解される。
最大判昭和53年10月4日【マクリーン事件】
事件の概要:一年間の在留期間を得た後、その更新を申請した原告に対して、法務大臣は在日中の反戦運動参加等を理由にこれを拒否した。
①「憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としているもの(参政権など)を除きわが国に在住する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきである」
②外国人の政治活動の自由についても「わが国の政治的意思決定、またはその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位に鑑みこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶ」
憲法は、必ずしも、外国人を完全に日本国民と平等に取り扱うことを要求しない。
従って、外国人に対する法律上の制限は、それが「合理的な範囲」である限り認められる。
しかし、憲法の国際協調主義の立場から、権利の性質上適用可能な範囲において、日本国民と同じように、外国人も平等に取り扱うことが必然的に求められ、それが憲法の趣旨に副うものと考えられる。
3)未成年者の人権
①未成年者も、日本国民である限り、当然に人権を享有する。
②未成年者は、精神的、身体的、社会的にも未成熟であり、しかも判断能力や責任能力がまだ十分ではない。従って、未成年者は、保護の対象として考えられる。未成年者は、人格的に独立した成人に比べて人権が制約される。
③未成年者が制約される人権は、選挙権(第15条)、婚姻の自由(第24条)、職業選択の自由(第22条)などである。
4)法人の人権
①人権保障は、自然人を対象とする。かつては法人には基本的人権の規定は適用されないとする見解が有力だった。
②だが、現代社会では、法人の社会的存在と社会的活動の重要性が増大している。
③しかも、法人の活動は自然人の手によって運営され、その利益は自然人に帰属する。昨今では法人に権利の主体として自由や権利を保障する必要性が生じた。
法人に認められる人権:法の下の平等(第14条)、財産権(第29条)、営業の自由・移転移住の自由(第22条)、裁判を受ける権利(第32条)、国家賠償請求権(第17条)や法定手続きの保障(第31条)など。
法人に認められない人権:生存権(第25条)、内心の自由(第19条)、拷問や残虐な刑の禁止(第36条)など。
5)死者の人権
民法第3条「私権の享有は、出生に始まる。」死亡と同時に、私権は終了する。
死体からの臓器移植:死者の生前の承認を必要とする立場(例えば、ドナーカード)は、法的根拠を当人の身体に対する自己決定権に求めて、その決定は死後も効力を有する。
*刑法第190条は死体損壊・遺棄を処罰する。これは死者を法益(法により保護される生活上の利益)の主体として認めるのではなく、死者に対する崇敬と社会的風俗としての宗教的感情を保護するものである。
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2015年10月13日 02:08
第4回授業用資料
以下は、第4回目の授業用資料になります。必ず目を通しておいてください。
日本国憲法上の天皇の地位
憲法第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
憲法第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
天皇の人間宣言
官報号外(昭和21年1月1日)詔書「人間宣言」
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。(現御神=アキツミカミ)
朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
日本国憲法第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
憲法第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
憲法第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。 2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
憲法第5条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
憲法第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
憲法第7条 国事に関する行為について。
1憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2国会を召集すること。
3衆議院を解散すること。
4国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7栄典を授与すること。
8批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9外国の大使及び公使を接受すること。
10儀式を行ふこと。
天皇の国事行為
1)儀礼的行為
(ア)外国の大使及び公使の接受 第7条第9号
「接受」とは、外交使節に接見する儀礼的な行為を意味する。次頁も参照せよ。
(イ)儀式の挙行 第7条第10号
「儀式」とは、国家機関として天皇が主宰する国家的儀式を指し、皇室内の私的な儀式を含まない。天皇が主宰する「即位の礼」、「立太子の礼」などが該当する。政教分離の建前から、宗教的なものではない。
2)形式的行為
(ア)憲法改正、法律、政令及び条約の公布 第7条第1号
施行の前提として、法令の内容を国民一般が知り得る状態にしなければならない。
この行為を「公布」と称する。わが国では、国法への尊敬の念を高めるために、天皇が公布を行なう。
(イ)国会の召集 第7条第2号
国会の会期は、その「召集」に基づく集会があって開始する。
(ウ)衆議院の解散 第7条第3号
衆議院議員の地位をその任期満了前に喪失させる行為を「解散」という。
(エ)国会議員の総選挙の施行の公示 第7条第4号
「総選挙」とは、衆議院議員の総選挙と参議院議員の通常選挙を合わせて称する。なお、これらの選挙の期日と公示の時期については、公職選挙法で規定されている。
(オ)内閣総理大臣及び最高裁判所長官の任命 第6条
内閣総理大臣は、国会の指名に基づき、最高裁判所長官は、内閣の指名に基づき、天皇が任命する。天皇に指名の決定権があるのではない。
3)認証行為
(ア)国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使・公使の信任状の認証 第7条第5号
「その他の官吏」とは、最高裁判所裁判官、検事総長、人事官、特命全権大使等を指し彼らを「認証官」と呼ぶ。内閣をはじめ他の国家機関が実質的に決定したことを事後的に天皇が表明するのみである。
(イ)大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権の認証 第7条第6号
これらは「恩赦」と総称される。恩赦とは、訴訟手続きによることなく、刑の効果の全部または一部を消滅させる行為である。これは行政権による司法権の効果の修正であり、権力分立の原則に反する。しかし、古くから諸外国で認められている制度である。詳細は恩赦法(昭和22年3月28日法律第20号)に従う。
(ウ)批准書及び法律の定めるその他の外交文書の認証 第7条第8号
「認証」とは、既に他の国家機関の正当な手続きによって有効に成立している行為を公に確認し、証明することである。これらの行為に権威を与えるために、天皇の国事行為となっている。
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2015年10月04日 23:15
第3回授業用資料
以下は、第3回目の授業用資料になります。必ず目を通しておいてください。
ジャン・ボーダン『国家論』(1576年)
国家の最高絶対権を説き、人民の自由と財産を守ろうとした。「国家権力」の主体は、「国王」という個人ではなく、「主権」という制度である。対外的には、主権とは、「国家の絶対的で永続的な権力」である。国家は、自らの国法を定め、他の権力に従うことなく独立して国政を行うことができる。国内的には、主権とは、「市民や臣下に対して最高で、法律の拘束を受けない権力」である。「人民が君主の法律に服し、君主が自然法に服して、人民の自然的自由と財産の所有権を保障する」政治が「正しい統治」である。
国民主権は、「闘争的概念」として形成された。
近世初頭の絶対主義国家=君主主権の採用
①封建諸侯の権力に対して絶対君主の権力の最高性を主張する。
②ローマ教皇の権力に対し、それからの絶対君主の独立性を主張し弁護する。
近代国家では、市民革命を経て、絶対君主が打倒され、市民(国民)が最高・独立の権力を掌握した。こうして君主主権に代わり、国民主権が登場した。
日本国憲法前文を読んでみよう!試験でも必ず出題されます。
前文第1項
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
前文第2項
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
前文第3項
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
前文第4項
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
前文原文(英文)
We, the Japanese People, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim the sovereignty of the people's will and do ordain and establish this Constitution, founded upon the universal principle that government is a sacred trust the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people; and we reject and revoke all constitutions, ordinances, laws and rescripts in conflict herewith.Desiring peace for all time and fully conscious of the high ideals controlling human relationship now stirring mankind, we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society designed and dedicated to the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance, for all time from the earth. We recognize and acknowledge that all peoples have the right to live in peace, free from fear and want.We hold that no people is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all peoples who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other peoples.To these high principles and purposes we, the Japanese People, pledge our national honor, determined will and full resources.
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2015年09月23日 21:16
第2回授業用資料
以下は、第2回目の授業用資料になります。必ず目を通しておいてください。
大日本帝国憲法の絶対的な基本原則=天皇主権について
大日本帝国憲法第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
同第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」=天皇は、国家の元首(国際法上、対外的に国家を代表する者)であり、統治権の総攬者(政治権力を一手に掌握する者)であった。しかも天皇は統帥権も掌握し、軍事面でも最高の権限を有していた。
同第3条「神聖ニシテ侵スヘカラス」天皇=現人神
ここに言う天皇は、単なる君主ではない。中世ヨーロッパの君主制=「王権神授説」(君主の権力は神から授かったもの)では、二人の地上の支配者がいた。ローマ教皇と国王(皇帝)である。両者は時折衝突した。その事件が「カノッサの屈辱」である。しかし、わが国の天皇は、「現人神」とされていた。つまり、神格性を付与された主権者であり西欧の国王とは違った。
ポツダム宣言の主な内容
1)日本領土の縮小:カイロ宣言は履行せられるべく、日本国の主権は本州、北海道、九州、四国及び連合国が決定する島々に局限される。
2)軍隊の完全武装解除:日本国軍隊は完全に武装を解除した後、家庭に復帰し平和的かつ生産的生活を営む機会を得る。
3)戦争犯罪人の処罰:連合国の捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加えられるべし。
4)民主主義的傾向の復活強化:日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去し、言論、宗教、思想の自由、基本的人権の尊重は確立されるべし。
5)新秩序樹立までの日本占領:日本国民の自由に表明する意思に従い、平和的傾向を有した責任ある政府が樹立されるまで日本国を占領する。
マッカーサーノートの主な内容
1)天皇は国家の首長の地位にある。皇位継承は世襲とする。天皇の義務及び権能は、憲法に基づき行使され、憲法に定めるところにより、人民の基本的意思に対し責任を負う。
2)国家の主権的権利として戦争を廃止する。日本は、国家の紛争の解決のための手段としての戦争を放棄する。日本は、防衛と保護を世界を動かしつつある、崇高な理想に委ねる。いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。
3)日本の封建制度は廃止される。皇族を除き、華族の権利は現在生存する者一代以上に及ばない。華族の授与は以後どのような国民的または公民的な政治権力を含むものではない。
昭和天皇による日本国憲法公布勅語
本日、日本国憲法を公布せしめた。この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたものである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたものである。朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任を重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。
日本国憲法の構成について
上諭、前文、本文全11章103条
上諭:天皇の裁可を示す文章
前文:憲法制定の目的・根拠のみならず、憲法の基本的な理念・精神となる民主主義、平和主義、国際協調主義の諸原理を宣言する。
条文の構成:
第一章 天皇(8ヵ条)
第二章 戦争の放棄(1ヵ条)
第三章 国民の権利及び義務(31ヵ条)
第四章 国会(24ヵ条)
第五章 内閣(11ヵ条)
第六章 司法(7ヵ条)
第七章 財政(9ヵ条)
第八章 地方自治(4ヵ条)
第九章 改正(1ヵ条)
第十章 最高法規(3ヵ条)
第十一章 補則(4ヵ条)
日本国憲法の基本原理
(1)国民主権
(2)平和主義
(3)基本的人権の尊重
(4)権力分立
(5)国際協調主義
なお小学校社会科の教科書では「三つの柱」として紹介されています。しかし、上記の通り、決して三つに限定すべきものではありません。
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2015年09月16日 06:30
第1回授業用資料
以下は、第1回目の授業用資料になります。必ず目を通しておいてください。
1)「固有の意味の憲法」とは、国家のあり方や政治のやり方の基本的ルールを表明している。従って、いかなる時代のいかなる国家においても存在している。この憲法は、形式的にも内容的にも、一定の枠組みが存在しない。「憲法」という言葉の中で最広義のものであり、必ずしも「憲法」という名称の成文憲法として存在するのみならず、不文憲法として存在する場合もある。
2)「立憲的意味の憲法」とは、かつてヨーロッパにおいて政治権力を掌握し、国民を抑圧していた絶対君主(国王)に対する市民階級の闘争を通じて生まれた、①一方的・専断的な国家の権力に制限を加え、②広く国民の権利と自由の保障を原理とする内容の基本法を指す。このような憲法を学問的には、「立憲的意味の憲法」と称する。
つまり、近代憲法は、政府・議会・裁判所といった国家権力の仕組みやその権限に法的根拠を与えると同時に、その権力に制約を加えることを内容とした。こうして国家権力が憲法の制約を受けると同時に、国家の政治が憲法に基づいて行われる政治上の原則を「立憲主義」あるいは「立憲政治の原則」と言う。
3)近代憲法の基本原則について
①基本的人権の保障
絶対君主の専制政治に反抗し、自由と平等を目指して闘った市民階級にとっては、市民の基本的人権の保障こそが最大の目標であった。基本的人権とは、人間が生まれながらにして享有する「天賦の権利」(自然権)である。こうした思想に立脚して、基本的人権を保障するためには、国家の権力を制限し、個人の基本的人権に対して権力の介入を禁止する「国家からの自由」を確立することが不可欠であった。
②国民主権の原理
絶対君主による専断的な政治に制約を加えつつ、国民の権利や自由の保障を確立するために、君主主権を否定し、国民が主権者として政治に参加することが最も有効な方法であると考えられた。モンテスキューによれば、「そもそも権力者は自分たちのために権力を濫用しがちである」とされる。
③権力分立の制度
フランス人権宣言第16条では、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、憲法をもつものではない」と明言された。②の国民主権が確立されても、政治権力が専制化することなく、国民の基本的人権を侵害しないようにするためには、過度の権力集中を防ぐための制度として「三権分立」が必要である。
4)憲法規範の特質について
①憲法=自由の基礎法
憲法はその出自から個人の自由と権利を保障する基礎法である。国民の人権保障が憲法制定の最大の目的である。
②憲法=制限規範
個人の生活に国家権力が介入しないように、権力を法的に制限し、枠組みを与える。憲法によって国家権力に歯止めをかけて、権力の濫用を制限する。憲法は、国民を規制する一般の法律とは区別され、法律を作る側の国家権力を規制しようとする特質を有する。
③憲法=最高法規
憲法は、法律、政令、規則、条例といった国法秩序において、頂点に位置し、最も強い効力をもつ最高法規である。従って、もし憲法の内容に矛盾する法律がある場合、当該法律は無効となる。